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無能の証明 #クレーム発生とその根本的解決へのアプローチ

今年は例年になく早く梅雨入りした割には、このところ長らく晴天が続きました。おかげさまで進行中の新築工事現場では天候に左右されやすい基礎工事も順調に進んでいると喜んでいましたが、いよいよ建前をする、この週末になってピンポイントで天気が崩れる模様。地鎮祭の際に雨に振られると、工事の要所要所で常に雨に見舞われると大工の世界では昔から言われておりまして、そのジンクスは現在でも健在なようです。ちなみに、今日も雨の中、新たに着工する現場での地鎮祭でした。雨天は天恵が降り注ぎ、全てを禊ぎ浄めておめでたいと言われますが、あまりジンクスが当たりすぎないようにお願いしたいものです。

無能の証明

雨降りは天の恵み。なので喜ぶべきだと分かっていても、天気が悪くなると気分は沈みがちになるものです。ただ、私の心があまり晴れていないのは、天気のせいだけではなくて、あまりうれしくない報告を続けざまに受けたからです。スタッフから受けた報告によると、またもや厳しくお客様にお叱りを受けたとのことで、リノベーション工事の引き渡し完了後に数カ所の不具合が見つかり、完工時のチェックが全くなっていないと、社員大工が自ら工事を進めながら、現場全体の施工管理を自主管理方式で行っている私たちの業務体制そのものに疑問を呈されるという非常に残念な報告を受けてしまいました。

クレームを発生させた本人に確認すると、不具合には気づいており、忙しさにかまけて是正するのを後回しにしてそのまま忘れてしまっていたとのことで、なんとも情けなくお客様に説明する言葉もありません。担当者には失った信頼をできるだけ回復できるように、誠意を持って事後の対応するようにと厳しく伝えました。しかも、同じタイミングで、顧問先でも毎月1to1のセッションを行い、現場改革に取り組んでいるはずのスタッフから続けざまにお客様とトラブルを起こしてしまったとの報告を受け、自分の無力さ加減を波状的に突き付けられた結果になり、さすがに気分が沈みました。

不本意な現実

報告を受けたトラブルやクレームに全て共通しているのは、決して天災や防ぎ様のない第三者からの被害でも事前に予測不可能な不測の事態が起こったわけではなく、兆しを見つけられているはずだし、問題自体を認知していたにもかかわらず、対処、もしくは予防の行動を先送りにして当たり前のことを当たり前にできていないだけのいわばヒューマンエラーで、なんとも恥ずかしく、情けない結果です。ずいぶん昔に楽天の三木谷社長が記者会見で「当たり前のことを当たり前に行うのが何よりも1番難しい。」と話していたのを耳にして今でも強く印象に残っておりますが、実は私も自分自身、当たり前のことを全て当たり前にできているかというと実際そんな事はなく、本当に残念で悲しすぎますが、程度の差はあれども認知したリスクに対して全て予防出来ないという、不本意な現実が目の前にどっかりと横たわっています。

スタッフがやらかす失敗は結局、全て私の不徳の致すところで、全責任は私にあるのは自明ですが、結局、スタッフがキャパシティーを超える負荷を負っていたのが全ての原因だと思わざるを得ません。

低いセルフイメージと自己欺瞞

実際のところ、わかっていることをわかっているまま、知っている事を見過ごさずにそのまま行うことができれば後悔のない人生になると思いますし、それができれば聖人君主に近づけるのかもしれません。しかし、私を始めとして身の回りの人が当たり前のことができないと言って苦しみ、悩み、後悔するのは理屈や論理以外の何らかの要因があると思わざるをえません。

自分自身を鑑みて先ず思い当たるのは、セルフイメージの低さです。自分のことをそんなに完璧な人間じゃないと認識してしまうことが、当たり前の行動を阻害するのではないかと思っています。当たり前のことを行わない、行えないのは自分の良心を裏切る自己欺瞞以外の何者でもありませんが、良心に従えない自分を認知してしまうと裏切りとも思わなくなります。

2つ目は、おかしな成功体験です。「ま、いっか」と中途半端にいい加減な対処をしても大きな問題にならないことが多すぎて、知らず知らずの間に、世の中はこんなもんじゃないか、と錯覚してしまっているのではないかと思うのです。そして、それらは法律に反しているわけでもなく、誰かに咎められるわけでもなく、ただ単に自分の良心を裏切って、自己欺瞞の箱の中に入り込んでいるだけだと思うのです。そして、まるで時限爆弾が爆発するかのように、大きな問題になるまでその自分に対する裏切りにさえ気づかなくなってしまうのが今の世の中ではないのかと思うのです。

人を管理する限界と弊害

私が代表を務める株式会社四方継では、20年来、延々とクレーム撲滅に取り組んできました。にもかかわらず、未だにお客様にお叱りを受けるのは非常にふがいないというか、情けなく不本意で厳しい現実です。今回ご迷惑をかけした客様には心から申し訳ないことをしたと思っておりますし、また大変失礼とは思いますが、これを機に改めて二度と同じ失敗を繰り返さないような構造的、本質的な改革と改善を行わなければならないと考えています。しかし、問題の根本にあるのはロジックでは理解している当たり前のことを後回しにして、そのまま失念してしまうヒューマンエラーであり、これは単にチェック機能を働かせるだけで解決するわけではないと思うのです。

10年以上前、まだ今よりもずっと事業規模が小さかった時は、私が自分で全ての現場のチェックに回っておりました。毎日、複数の現場を走り回り、スタッフにダメ出しをして回り、今思い起こすとずっと怒っていました。その当時はクレームが無かったかというと、それがそんなことはなく、厳しく管理すればするほど、スタッフは私が指示したことしか行わなくなり、私の目から溢れた部分により多くの不具合が発生するようになりました。いくら元大工の施工管理と言えども、職人が締めるビスの締め加減まで把握することはできません。職人が顧客の立場に立って物事を考え、主体的に品質の高いモノづくりをしようと思わなければ絶対にクレームは無くならないとその時痛感して、現場を管理するのではなく、スタッフと目的を共有し、現場実務者に責任を持って工事を進めてもらうように考え方を根本から変えました。

洗える問題解決の根本的なアプローチ

現場マネジメントを根本的に考え直すパラダイムシフトがあった後、これまでの十数年間にわたって延々と主体性を発揮して現場に向き合うように社内研修を行ってきましたし、現場担当者を直接お客様の前に立たせて、必ず満足してもらえるように責任を持って工事を行いますとコミットメントしてもらうようにしてきました。この方針転換は大きな成果をもたらしてほとんどクレームが起こらない状態になったのですが、今回のようなヒューマンエラーを完全に撲滅するには至りません。

本来なら、やはりチェック機能が必要だと結論づけて、ダブルチェック、ドリブルチェックの仕組みを構築し直すべきなのかもしれません。しかし、人を管理することの限界と弊害を鑑みれば、マニュアルを作り、仕組み化を進めることでまた人間本来が持つ才能を押しつぶしてしまう危険性をはらんでいると思うのです。今回、リーダーとして無能さを露呈してしまった私ですが、今一度、誰しもが持つ良心や思いやり、責任を全うすることで得られる達成感を信じて、善なる意図であるはずの目的の共有とプロフェッショナルとしてのあり方を見つめ直す時間を持ちたいと思います。あらゆる問題解決の糸口は全て人の心の中にあり、誰もがそれを乗り越える力を持っていると信じたいと思うのです。

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誰もが持つ才能を開花させる研修やってます。







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