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情けは人の為ならずのロジック #思いやりとメタ認知

テクノロジーの進化、それに伴う社会、経済環境の変化が加速度的に早まっているのを理由に学び続けることの重要性が見直される様になり「生涯学習の時代」と言われて久しくなりました。ただ、大事なのは「なんのために学ぶのか?」との目的であり、闇雲に新しいモノやコトに首を突っ込めば良いという訳では勿論ありません。最近、頻繁に耳にする様になったリカレント教育でも仕事で役立つ知識や技術などの「やり方」に焦点が合わされがちですが、本当に深く学ぶべきことはヒトとして社会で生きる上で欠かせない「在り方」や「人生の目的」であり、一度きりの人生を悔いのない充実したものにするための思考や思想、信念を確立する為の教養だと思っています。そんな私は50歳を過ぎた今も(周りから若干引かれるくらい)様々な学びの場に足を運んでいます。起業してから20年以上そんな暮らしを続けて来て今更、何を学ぶのか?と問われることがありますが、未だに目から鱗を落とす事がしょっちゅうあります。特に、知っている、分かっているつもりになっているけど、真の理解とは言えない、浅かった。と反省することが多く、人の在り方(=人や社会との関わり方)についての学びの深さには限りがないのかと感じることしきりです。


リカレント教育(recurrent education)とは、主に学校教育を終えた後の社会人が大学等の教育機関を利用した教育のことを指す。生涯教育を受けて発展した概念であり、職業能力向上となるより高度な知識や技術、生活上の教養や豊かさのために必要な教育を生涯に渡って繰り返し学習することを意味する。これには、企業内教育により就業しながら必要な知識や技能を習得する教育訓練を行うOJT、仕事を一時的に離れて行う教育訓練(Off-JT)も包含されている。(出典:Wikipedia)

人は自分がしたことしか言えない

最近になってまた新たな学びの場に足繁く通うようになりました。そこでは時代の流れもあり対面だけでなくオンラインで交流を持てる場が充実しており、同じ目的、高い志を掲げるメンバーと毎日の様に最新の情報や事業で理論を実践する中での事例や気づきを共有しながらディスカッションが繰り返されています。そんな中で取り立てて新しい知識という訳ではないけど、ハッと気付かされることが少なからずあります。今日の気づきも当たり前に過ぎますが、「人は自分の行ったことしか人に言えない」との一言でした。
要するに、自分が「良い体験」をしていれば、同じ体験を人に勧めることができるし、その相手はきっと嬉しい体験に出会うことになる。逆に、自分が人に胸を張って語れる体験をしていなければ、周りの人を幸せにすることができないという原理原則です。自分自身の判断は少し視野を広げて見れば自分のビジネスや人生だけでなく、周りの人のそれにも大きな影響を与えるのですが、私を含め殆どの人はそんな意識をして物事の判断をすることは皆無だと思います。

深く切り込まない無いのは相手のための思いやり?もしくは自分の防衛?

二宮尊徳先生が提唱されたバケツの法則とは、相手のことを思いやり、自分に利を引き寄せるのではなく、目の前の利益を相手に押し渡せば渡すほど、自分に利が回ってくるとの原理原則です。利他の心こそが経済を回し、収益を生み出すとの理論は、渋沢栄一翁が「論語と算盤」で唱えられた倫理観と経済の両立からもう一歩踏み込まれました。アメリカ発祥のビジネスコミュニティーBNIでもGiver' GAIN(与えるものは与えられる)との理念を掲げて世界中にそのネットワークが広がり続けています。しかし、実際のビジネスシーンでこの理念を実践し、事業を組み立てられている経営者や事業所は非常に少ないのが現実です。その理由の一端が上述の「選択」の際の在り方に起因しており、普段の生活での視点や視座がそのレベルに保てていないということではないかと思ったのです。
また、人のために自分の選択を考えるという視点は「誰のために?」とのリアルな問いが付き纏います。人は誰しも摩擦の少ない楽な方に流れてしまいがちで、対象が曖昧であればあるほど、ぬるい判断をしてしまうからです。そこで問題になるのは、普段からの人との関わり合いの密度と頻度だと気付かされました。鼻血が出るほど人と真剣に付き合わないと、その人がどんな資質や才能、特徴を持っているのかさえ分からないもので、よく知らない人のために自分に厳しい判断をするなんてことはあり得ません。また、人に決断を迫るなんて事は余程深く相手を知り、愛情を持って向き合わないと出来ることではありません。深く知る人が多ければ多いほど、誰に?の問いに答えられるようになります。人に対する思いやりの気持ちを持っていない人なんかいないと思いますし、人は誰しも、「自分だけが良ければ良い」なんて思っていないし、高潔な良心を持っていると私は信じています。しかし、究極の選択になった時、他人と自分のどちらを選ぶのかと質されると、人は皆、自分に興味があり、自分がかわいい。となってしまいがち。普段から周りの人に貢献するのだと強く意識をしておかないと、結局、バケツの法則など机上の空論になってしまいます。

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メタ認知は習慣で身につける

自分のことより人の事を優先して考える。まず他人に喜んでもらう、貢献する判断を積み重ねる。そんな毎日を長年積み重ねれば、圧倒的な信頼を身につけることが出来るのは誰もが認めるところ。信頼こそあらゆるビジネスの質とスピードを圧倒的に高める。と「7つの習慣」のスティーブン・R・コヴィー博士の息子さんが著書「Speed Of Trust」に著されていますが、目先の損得ではなく、少し長い目で俯瞰して見れば人生を変える程の大きなアドバンテージとなる「信頼」を手に入れるほうが良いに決まっています。「7つの習慣」の中にイソップ童話の金の卵を産むガチョウの寓話が紹介されてるように、ガチョウの腹の中にある目先の金の卵を無理に取ってガチョウを殺してしまうよりも、ガチョウを大事に育ててずっと金の卵を産み続けてもらう方が得だと100人聞いたら100人が答えるにも拘らず、それが実際の事業に落とし込まれていないのが現実です。これはいわゆるメタ認知(客観的なもう一人の自分から自分自身を俯瞰する)を進めることで目先に囚われない冷静で正しい判断を出来る様になると言われますが、それは常日頃からのトレーニングが不可欠で、人との関わり合いの中で常に相手にとっての立場で物事を考える習慣によって身に付くのだと思っています。コミュニケーションが人が持つあらゆる問題を解決すると言われる所以ですが、数多くの人に深く関わることを選択し、行動に移すことこそ自分も、周りの人も幸せにする入り口なのかも知れません。人の営みの根本となる「在り方」の学び。深く、厳しく、果てしない気がしてきました。。

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