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HIROSHIMA 2023

私は生まれも育ちも神戸の生粋の神戸人ですが、祖父の代までは広島に居を構えており、今も私が入る予定の高橋家の墓地は広島駅のすぐ近く、山根町国分寺にあります。
毎年1度、お盆ぐらいは広島に戻り、墓参りと言うよりは墓掃除をするようにしています。住んでいる場所から、遠く離れた街に墓参りに戻ると言うと、故郷があり、親戚と集まって、お互いの近況を報告し合うようなイメージがありますが、残念ながら、祖父が暮らしていたのも、親戚の人たちも皆、広島市内であった為、原爆が投下された日に、私の広島でのルーツは全て消滅、殺戮されてしまいました。
78年前の当時、たまたま祖父だけが神戸に出てきて働いており、唯一生き残った高橋家の血が受け継がれて、私が誕生したと聞いています。幼い頃から、そんな自分の生い立ちを聞かされてきて、私は広島の地と原爆には深い思い入れがあります。

盂蘭盆会

広島への墓参りは神戸から新幹線を利用して約2時間。近くも遠くもない距離で、現地に親戚がいるわけでもないことから、ふと思い立って行くことが多く、ここ近年は私1人でお寺さんに参っておりました。ただ、今年は年老いて身体が弱り始めた父親を東京から神戸に引き戻してきたこともあり、20年以上ぶりに父親と弟にも声をかけ、男3人でちょっとした旅行気分での墓参りになりました。お盆は、仏教で盂蘭盆会と言われます。日本ではすっかりあの世から先祖が帰って来ると言われ、先祖を敬い、感謝する日と定義されておりますが、今年は亡くなった先祖だけでなく、まだ生きている父親にも感謝の気持ちを伝える機会が持てたのは、とても有意義で良い時間となりました。親孝行、したい時には、親はなしと言いますし。
ちなみに、盂蘭盆会の由来はこちら。

広島サミットの違和感

大日本帝国のポツダム宣言受諾から78年が経った今年、偶然と思いつきの賜物ではありますが、20数年ぶりに家族と広島に行ったのには何か特別な意味があったように感じました。
それは、1人で広島の墓参りに行ったところで、絶対に立ち寄ることのない原爆資料館や、平和祈念公園に足を運ぼうと、墓参りの途中でふと思い立ったからです。
お盆と台風の襲来が重なったこともあり、新幹線の席がいっぱいで、珍しく往復のチケットを買っており、墓参りを終えた後、時間があったから、私が2人を平和記念公園に誘ったのですが、それは無意識下で、今年の広島サミットで、G7の首脳が広島に集まり、献花していたときの映像が頭のどこかに残っており、しっくりこない違和感とともに引っかかっていたからかも知れません。

パロディなのか?

広島平和記念公園に行ってみると、バイデン大統領に足を踏み入れさせたと大きな話題になった原爆資料館に待ち時間1時間を超える長蛇の列ができていました。外国人も非常に多く列に並んだり公園を散策しており、これもサミットが行われた影響なのかと考えながら、私たちは並ぶのを諦めて、広島国際会議場にあるカフェで涼もうと建物に入りました。そこでは、広島サミットの回顧展の展示と、広島の高校生が原爆被害者にヒアリングをして、当時の惨状を絵画に描いた作品の絵画展が同時に行われておりました。その看板をみた瞬間に「え、パロディなのか?」と直感的に立ち寄っておくべきだと感じて、父親たちを誘って回顧展と絵画展の両方を見に行くことにしました。

広島の英雄

広島選出の代議員であり、日本国の総理大臣の座に上り詰めた岸田氏はいわば現代の広島の英雄です。検討使との異名を取り、施策に対する不評も少なくなく、支持率よりも不支持率が上回っている状態ですが、広島の人で岸田総理を悪く言う人は(私の周りでは)皆無です。
今年行われたG7のサミットを広島への招致に成功したのは、岸田総理にとっては政治家としての悲願であったはずです。幾多の難しい折衝を乗り越えて、世界で唯一原爆を投下した国のバイデン大統領を、原爆の悲惨さを伝える原爆資料館に(1階のフロアだけだとしても)足を踏み入れさせることができたのは、ものすごい達成感があったのだと想像に難くありませんし、良し悪しは別として歴史に残る出来事だったと思います。政治家人生の中でも最高の瞬間だったのではないでしょうか。回顧展に飾られていたその彼が円卓の中心に座ったG7サミットの写真は弾けるばかりの笑顔がとても印象的で、本当に幸せそうに見えました。

うわべの追悼

しかし、平和祈念公園で献花と共に添えられた各国首脳による直筆の被爆者に向けた追悼文はどこか空々しく、防衛費倍増を掲げる岸田総理をはじめとして本当に核兵器なき世界を目指しているとは思えない、どこか空々しく感じました。バイデン大統領が核兵器を行使したことに対して責任を感じているとは到底思えませんでした。
今もなお、実際に隣国で本格的な戦争が起こり、核の脅威を外交のカードに使っている現実を一体どのように考えているのか、世界中で常に暴力による現状変更が起こり続ける現実を本当に解消しようとの意思を持っているのか?
G7サミットも、国連も世界平和に対してあまりにも無力であると共に、紛争や戦争を引き起こす当事者がその中に紛れ込んでいる現実を受け入れてしまっているのは虚しさを通り越して憤りさえ感じます。
広島という世界で初めて核兵器が使用され、なんの罪もない市民を大量虐殺し、一族郎党とも一瞬にして根絶やしにされた私としては、放射能の威力の人体実験の場として設定された広島でサミットを行った意味と意義とはいったい何だったなのか?と考えずにはいられませんでした。

苦しみの継承と教育

翻って、そのサミット回顧録の展示場の隣で開催されていた原爆絵画展は、広島を題材にした名作漫画、はだしのゲンに描写されていた悲惨な光景が深い情念を込めて描かれた絵画がずらりと並んでいました。もう残り少なくなった被爆者の生存者に、高校生が当時の模様をヒアリングして油彩画に現した作品は、人を人と思わない無差別殺人の攻撃を受けた人たちの苦しみと悲しみがが映し出されており、見ていて、少し胸が苦しくなるほどリアルな表現をされているものもありました。敗戦からもうすぐ80年が来ます。私の父親は5歳でその年を迎えたと話していましたが、戦争の記憶はもう殆ど残っていないとのこと。20歳の若者が98歳になるほどの時間が経った今、広島で続けられている戦争の記憶を次世代に残し、その悲惨さを植えつける取り組みの重要性は年を追うごとに増していると思います。それは平和教育と言った生ぬるいものでは無く、16世紀以降、人を人として見ない西洋人が有色人種に対して行い続けてきた悪魔の所業を正視して、本質的な多様性の受容と人の心に存在する良き心=良知の存在、その大きな効果性についての認識を深める、ひとが人である所以を再確認する場と機会を作るべきだと思います。2023年の広島で隣り合わせで行われている2つの展示を見比べて圧倒的な違和感を多くの人に感じて貰いたいと思った次第。世界平和が人類の望みだと信じたい。

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高校から社会人までを対象に自らの頭で善悪を考える主体性を伸ばす教育事業を展開しています。

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