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マークトウェインの至言 常識は非常識で人はその罠から逃れられない


私たちの生活が新型コロナによるパンデミックに翻弄されるようになり、いわゆる自粛生活ももうすぐ2年になろうとしています。現在も全国各地で緊急事態宣言が発出されていますが、2年間も外出時はマスクをつけておくのが常識の今のような状態が続くと当たり前の常識はがすっかりひっくり返ってしまい、非常識が常識で常識が非常識になってしまいました。当然、私たちの生活習慣にも大きな変化があり、その最たるものは時間の使い方とその場所が変わったことだと感じています。簡単に言えば、対面で人と会う機会が減り、自宅にいる時間が増えた。それは良いも悪いもなく、ただ事実として受け止め、引き受けるしかないのではないかと思います。その結果、私の場合、これまで(時間の無駄になると思い)避けてきたインターネット動画配信についハマってしまい、(娘のアカウントで)今までの人生で経験したことないほど映画やアニメを数多く視聴する1年間になっています。くだらない、まさに時間の無駄だと感じる作品も少なからずありますが、あらゆるドラマは人生の間接体験だと考えればそれも悪くない、なんて思ったりしています。

観るべきはメタファーを感じる作品

数多い作品を見る中で、自分の好みというか、趣味嗜好がなんとなくわかってきました。映画やドラマを見終わった後に何か1つでも示唆を得られるものがあれば、充実した時間だと感じるし、いくらドラマティックで面白い展開でも得るものが何もなかったと感じた時は時間を無駄に過ごしたように感じる傾向にあるようです。パターンで言うと、冒頭にその作品のテーマやメタファーを短い言葉で示してから物語が始まるのがどうやら好きなようです。最近見た作品の中では、白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)に潜入捜査した実話をつづったノンフィクション小説をスパイク・リー監督が映画化した「ブラック・クランズマン」や、サブプライムローンのバブルがはじけるまでの経緯を克明に書いた「マネー・ショート」など、事実に基づいたノンフィクション系の映画がお気に入りで、毎夜、2時間かけて深夜までコツコツと見続けています。その分、読書の時間が削られているのが少し難点ですが、これも時代の流れかと受け止めるようにしています。

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厄介なのは知らないことじゃない知らないのに知っていると思い込むこと

この「マネー・ショート」という作品のストーリーを簡単にまとめると、サブプライムローンという、優良客(プライム層)よりも下位の層である、リスクが高いサブプライム層に緩い審査基準で住宅ローンを貸付けそれを証券化することで巨額のマネーを生み出す金融システムはまさに偽りの錬金術であり、それに気づいた極少ない人がバブルの破綻を予見して、巨額の富を手にする逆転劇です。今の常識は非常識だと普通の感覚を持って感じた人が最後は勝つ。と「事実を事実としてみる感性」の大事さを示唆してくれる作品です。冒頭に字幕で「厄介なのは知らないことじゃない知らないのに知っていると思い込むことだ マークトゥエイン」との至言が映し出され、その真理を裏打ちする物語として映画は進んでいきます。私たちはすでにサブプライムローンがどの様にひどい結果を招き、リーマンブラザーズのような大手投資会社が問題が表面化してすぐ、あっという間に破綻したかを知っており、AAAの信用格付けがあるから、住宅ローンの不良債権化が進んでも市場に大きな影響がないと言い張る銀行や証券マンの馬鹿さ加減を呆れながら見ることができますが、人は信じたいことしか信じない、見たいものしか見ない、不都合な真実から目を背けるものなのだと叩きつけられるように繰り返し見せつけられ、自分自身も決してその罠から逃れているわけではないのでは?と考えさせられました。

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常識は非常識

ちなみに、サブプライムローンのおさらいをしておくと、①所得に対する借り入れが50パーセント以上、②過去1年間に30日間の延滞が2回以上あった、③過去5年以内に破産したもの。に対する住宅や車のローンを指しており、冷静に考えると貸付けリスクが高すぎるのは金融のプロでない私のような素人でもわかります。ただ、その当時のアメリカでは住宅、土地の価格上昇が続いており、債務不履行になりそうになっても、抵当権のついた物件の価格上昇でローンの借換えができるなど、問題を先延ばしする土壌がありました。人は誰しも、未来はこれまでの延長線上にあると考えたいもので、それを常識と捉えた時点でサブプライムローンのリスクは認められなかったのはわかるような気がするし、リーマンショックの後に日本でもスルガ銀行が個人向けの不動産投資の融資基準を大幅に(というか杜撰に)緩めて巨額の融資を行ったことで大きな問題になったことを考えれば、金融の世界にいる人はリーマンショックから全く学ことなく、目先の数字だけを追い求める業態であり、人種なのかと思ってしまいます。。
ただ、常識とはこれまで常としてあった事象にに基づいた社会的な価値観、知識、判断力のことを指しており、常に偽陰性が含まれるのを打ち消す概念だとも言えます。新しい価値を生む出すには常識を疑え、とは良く耳にする言葉ではありますが、本当にその在り方を維持すれば、非常識な人になってしまう訳で、それは社会から締め出されるジレンマを内包しています。

厄介だとの認識こそ常識に対抗する唯一の術

しかし、常識に囚われると、サブプライムローンの悲劇はこれからも形を変えながら何度も繰り返されるわけで、常識が常識であるという誰もが持つ認識はとても難しい問題です。このジレンマから抜け出すには、上述のマーク・マークトゥエインの至言を思い返すべきで、「厄介なのは知らないことじゃない知らないのに知っていると思い込むことだ」との短い言葉に込められた「厄介」な部分に常に心を配ることこそが重要だと思うのです。決して簡単ではないからこそ、少々気をつけても同じことをやらかしてしまうからこそ厄介なのですが、常識に立ち向かうのはそれくらい難しいってことを私たちは再度、よく認識するべきだと思うのです。少々意識したくらいではダメだと。新型コロナの影響を受けての生活習慣の変化は意外と私たちに新しい気づきや学びを与えてくれることもあるものです。

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常識ではなく原理原則に基づく研修を行なっています。




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