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ユーザーは誰か?関心は何か?

経営の神様と言われるピータードラッカー博士は事業の目的を「顧客の創造」だと定義しました。20年近くマーケティングを学び続けた私が主宰している職人起業塾でも、マーケティングとは新規顧客と生涯顧客を創造することであり、それは即ち同業他社が行っていない課題解決を行うことと、圧倒的な信頼関係を結ぶことだと伝えています。ドラッカー博士はマーケティングの究極の目標は一切の売り込みをなくすことだと言われましたが、それは事業の目的そのものだということとの解釈も成り立ちます。

課題解決+信頼構築=独自市場

誰もやっていない課題解決に取り組み、圧倒的な信頼関係を構築できればおのずと自社独自のマーケットは作られていきます。言葉では簡単ですが、実際はその両方とも非常にハードルの高いタスクであり、誰にでもおいそれとできることではありません。その部分を再現性があるスキームにできないかと考えて、私は5年ほど前からUXデザインを学びに関西でUXの概念を学べる唯一の機関であった関西UXコミュニティーとXデザイン学校に熱心に足を運びました。UXとは直訳するとユーザエクスペリエンス=顧客体験であり、(超乱暴に要約すると)徹底した観察調査を行うことを通して顕在化していない顧客の要望や関心を汲み取り、概念化と具体的なインサイトを見いだすことで汎用性のあるデザインやプロダクトに具現化するデザイン(=課題解決)理論です。この思想、哲学が簡単ではない本質的なマーケティングをある程度、汎用出来るようになるのではないかと考えて4年間に渡って学ばせて頂きました。

人の心はどこにあるのか?

古典的マーケティングからpurpose経営、そしてUXデザインと多くの先生方や先輩等に様々な機関で学ばしていただいて、最終的に私があらゆるビジネス、またそれを動かす組織作りに共通する最も重要な概念だと気づいたのは「人の心はどこにあるのか?」との問いを立て、その答えを模索する事につきます。要するに、ユーザーは誰か、その関心はどこにあるのか?とのシンプルな疑問に真摯に答えることで、新たな人とのご縁を作り、信頼関係を構築し、そこから正当な価値交換を行なって収益を得るモデルを作ることが出来れば持続可能なビジネスは成り立つとの考え方に至りました。
しかし、残念ながらシンプルな理論程、実装し、成果に結びつけるのは難しいものです。世界一のトレーナーについたら、誰もが世界チャンピオンになれるかというと、そんな訳がないように理論と実装の間には深い溝が横たわっています。知らないこと(知識の壁)はやってみて(行動の壁)そこで初めて分かること(気づきの壁)をできるようになる(技術の壁)、そしてできている状態を保つ(習慣の壁)までいくつもの壁を越える必要があります。

本当のユーザーは誰?

ユーザーは誰か?その関心は何か?とのシンプルすぎる問いは一見、簡単そうに思えるのですが、実は結構な割合で間違ったり、勘違いをしたりします。もしくは観察調査を繰り返す中で、本当の顧客が誰なのかに気付く事も少なくありません。住宅建築の打ち合わせは、そこに住う家族がユーザーだと思いがちですが、実は決定権者は資金提供をする親だったり、ユーザーが熱心に通われている宗教の先達だったり、時には風水師だったりもします。提供側としては、住まい手にいくら熱心に話したところで影の決定権者に翻弄されて全く意味を成さない事もあります。逆もまた然りです。

複雑なユーザー像

私が現在、来春の新規立ち上げを目指して熱心に走り回っている職人育成の高校では、生徒募集の活動をそろそろと始めています。地域の中学校や高校の進路指導や教務課の先生アポイントを取って、これまでに無かった就職とセットになった職人育成の高校の趣旨と概要の説明に回っています。その中で様々な質問やご意見を頂くのですが、私達が留意すべき事は学生に対しての価値提供だけでは無いと気付かされます。もちろん、進路を決めるのは大きな人生の選択なので、学生が主体的に考えるべきです。しかし、その選択肢を提示するのは担任の先生である事が大半を占めており、私達が作る学校の存在を知ってもらうべきは学生ではなく先生達となります。そして、先生は学生ではなく親御さんが気にかける部分について、細かく質問をされておられた事を鑑みると私達が対象ユーザーとして見るべきは学生でもあり、先生でもあり、親御さんでもあるともなります。

対象がブレる難しさ

この数ヶ月、様々な教育機関の方々に意見を伺う中で、私達が新たに立ち上げる学校事業で今までに無かったUX(顧客の体験)を生み出す設計をするにあたり、その対象としてのユーザー設定は学生、教師、親と3方向に渡ることが分かってきました。学生は未来の自分の姿、教師は学生が無事に高校を卒業出来るか、親御さんはとにかくまずは平穏に子供達が学生生活を過ごしてもらいたい。と、それぞれに関心の向きが微妙に違う事に気がつきました。もちろん、それぞれの関心に沿ったUI(ユーザーインターフェース)でのアプローチが必要ですし、それが出来なければ認知を広げることも出来ないし共感を得る事は出来ず事業は成り立たなくなります。そして、この事業の認知拡大はユーザーが絞りきれないだけに非常に難しいと感じています。

真理はシンプル、人の心は単純じゃない。

ユーザーは誰か?その関心はどこにあるのか?との事業を立ち上げ、成り立たせるには欠かせない重要な問いはシンプルであると共に、実は非常に難しく、しかもこれを外すと事業は泣かず飛ばずになってしまします。では、どうすればいいのか?との解は本質的な価値(UX)を明確にする事、複合的な構造で分かりにくい中で観察調査を繰り返し見つけた出した幾つものユーザー像に対してそれぞれに適応したUIを提供するしかないのだと思います。選択肢を見出した際にどれを取るかではなく、どれも取る選択を二項動態と言いますが、ユーザーを絞り込むのではなく、諦める事なく全てに対応する事、常に単一的なユーザー像を見つけたと胡座をかくのではなく、慎重に影のユーザーを探し続ける姿勢こそが重要なのだと思うのです。世界の真理は意外とシンプルだと言いますが、人の心はそんなに単純じゃないのを忘れずに、新しい事業に向き合いたいと思います。

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志の教育を中心に据えた新しい職人育成学校の立ち上げを進めています。

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