見出し画像

リーダーシップ論1.0 原点回帰

私は現在、4つの法人の代表と6つのNPOや社団法人の役員や世話人を拝命しています。合わせて10足のわらじを履いていることになり、しかもどれも運営側の立ち位置、役割を担っており、好きでやっているとは言え、年がら年中休みなく働く羽目に陥っています。頼まれ事は試されごと、と言いますし、人様のお役に立てる人生を歩める事はとても幸せなことだと喜んで働かせてもらってます。(笑)

リーダーシップへの怯えと畏れ

多くの組織に所属して、常にその運営を取り仕切る側に立っていると、否応なく、リーダーシップを発揮する事が求められます。それも、自分で創業した事業所なら、全て俺が責任を取ると少々強引にことを進めても納得してもらうことも稀にありますが、(本当はだめ、)経営者が集まる団体の運営では、全員に納得してもらえるような提案や施策を打ち続ける必要があり、面倒だと言って、少数意見を切り捨てたり、出された意見に対して真摯に向き合わないなど、生半可な態度では、すぐに誰もついてこなくなります。1度見限られることがあると、信用や信頼は二度と取り返せないのが経営者が集う団体運営の世界です。トップを切って引っ張っていくリーダーの人望がなくなると、組織が活性化しないどころか、会員数が減少していき、結局、会の存続自体もおぼつかないなくなるというのを私はこれまで何度も見てきました。それだけに、常に一定の怯えとと畏れを持ってあらゆる会の運営に向き合うようにしています。

在り方としてのリーダーシップ

そして、どのような団体や組織であっても、常に話題に上るのはリーダーシップ論です。リーダーとしてどうあるべきか?との問いは、組織を潤滑に運営なり、拡大を含めた活性化なりをしようと思うと、絶対に避けては通れない議論です。ちなみに、私が目指す民主的で自律分散型の組織であっても、個々のメンバーのセルフリーダーシップと言われる主体性と自律性がなければ、全く機能しないどころか成り立ちません。リーダーシップとは、職業に対する真摯で、誠実かつ全体最適を志向する向き合い方と言っても過言ではないと思っています。

経営の基本的要件

この世の中にひとりっきりで完結する事業などありません。組織を構成するメンバーの定義、もしくは組織そのもの定義は諸々あるでしょうが、ステークホルダーとの関わりの中で、事業が成り立ち、事業者の目的や目標を達成するのだと考えれば、組織の運営こそが事業であり、それはリーダーシップの実装と実践に他なりません。だからこそ、ありとあらゆる団体や組織で常日頃から繰り返しリーダーシップ論が話題に上がり、議論を戦わせるのだと思います。要は、それだけ組織の運営、ひいては経営に重要な最も基本的な要件だと言うことです。

原理原則的リーダー像

現在、巷には、数々のリーダーシップ論が存在しており、その定義は非常に曖昧になっているように感じます。時代の変化とともに、伝統的なトップダウン式のリーダーから、ボトムアップ式のセルフリーダーシップを重要視する考え方へと180度価値感の転換があったことも含めて、どれも間違いではないし、組織の形態や目的、フェーズに合わせて必要なリーダー像は変わるのが自然です。しかし、10,000年前から基本的には大した変化を遂げていないと言われる人間の営みを考えたとき、原理原則的なリーダーのあるべき姿は、いつの時代も変わらず存在するような気がしています。例えば、率先垂範、自分が嫌なことを人に押し付けて、自分は高見の見物をするようなリーダーに人がついていかないのは、ごく当たり前だと思うのです。

北天の雄のリーダーシップ

私がリーダーとして最も尊敬して止まないのは、坂上田村麻呂に討伐された東北の英雄阿弖流為です。高橋克彦さんの小説「火怨」を読んで、その生き様に圧倒され、それから以降、大河ドラマにもなった「炎立つ」を始め高橋さんの東北5部作の長編小説を全てたて続けに読了する位、めり込みました。先日、ちょっとした機会があり、1人で京都に出かけた際に、久々に清水寺に参拝に行きました。そこにも「北天の雄」として祀られている阿弖流為と母礼の大きな石碑が立っており、奈良時代からの悠久の時代を超えて、今もなお、語り継がれる強烈なリーダーシップを実行した先人の偉大さに改めて心を震わされました。

卓越のリーダーシップの具現

阿弖流為のリーダーとしてのあり方とは、蝦夷全体を束ねる棟梁にして、10年以上も京都の中央政権からの侵略を打ち返し、不敗伝説を作り上げた英雄であったにもかかわらず、あまりに巨大な朝廷の戦力、国力を冷静に分析し、必ずいつか打ち負かされて国々が蹂躙される事を正面から認識し、それを次世代に先送りすることなく、自分の時代で決着をつけたことにあります。自分自身の地位や名誉や誇り、ひいては一族郎党の命さえもかなぐり捨てて、ただ蝦夷全体の未来の安寧だけを求めて、坂上田村麻呂の軍門に降り、首を差し出して蝦夷を救った偉業は、他に類を見ない卓越したリーダーシップの具現だと思うのです。私の歴史観は完全に高橋克彦さんの小説に感化されていますが、Wikipediaに延々とテキストが書き綴られていることを見るだけでも蝦夷の敗戦の将がいかに英雄視されてきたかを如実に物語っています。

長期ビジョンと今、金、自分を殺す実行

阿弖流爲は蝦夷全体の武家の棟梁として、朝廷軍を凌駕し続け、小康状態にあった時期にあえて周辺諸国にわざわざ嫌われるような所業を繰り返し、自分から見限られるようにし向けました。阿弖流爲に愛想をつかした蝦夷の諸国の武将たちは、次々と朝廷に寝返り、次に朝廷の討伐作戦が開始されたら、ともに阿弖流爲を滅ぼそうと密約を交わします。その結果、坂上田村麻呂が討伐に繰り出してきた際には孤軍奮闘することになり、結局、手勢を引きいて母礼と共に首を差し出します。周辺諸国は朝廷との密約を交わしていた成果で、領土、領民を安泰の結果に着地します。阿弖流爲を捕らえた坂上田村麻呂は、その阿弖流爲の棟梁、リーダーとしてのあり方に心を打たれ京に連れ帰って2人の救済の嘆願を行いますが、結局聞き入れられず打首となってしまいます。その偉大な功績を讃え、坂上田村麻呂と縁の深い清水寺に石碑が建てられているとの事でした。

間接体験でリーダーシップを学ぶ絶好の書

阿弖流爲に学ぶリーダーシップ論は、日本人が好きだと言われるいわゆる自己犠牲の美しい話とは少し毛色が違っていると私は考えています。リーダーとはいかに未来を見通せるか、未来に向けての正しい判断ができるように、冷静に現状認識ができるか、認識している事と違わずに期待も悲観も入れることなく淡々と全体最適の確立を追求することができるかだと小説ではありますが「火怨」を読んで学ばされました。到底真似できることではありませんし、そんな壮大なスケールでの判断を迫られることも私にはありません。
しかし、全責任を引き受ける、課題を自分ごとに捉える、命をかけるべき時は命を惜しむ様なことはしない等、自分の中のリーダーシップ論として刻み込んでいる概念は確かにあって、判断に迷った時、つい面倒から逃げ出したくなった時には阿弖流爲の生き様を思い出すようにしています。奈良時代から続くリーダーシップ1.0を基本として守りたいと思うのです。「火怨」そして「炎立つ」の2作品をリーダーへの指南書としてご一読を超絶お勧めします。

6年前に書いている書籍のご紹介ブログ

______________

リーダーシップ論を含めた建築実務者向けの研修と職人育成の高校を運営しています。繋がってください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?