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復刻版「神道と民俗学」のススメ

令和五年がスタートしてまず初めに行ったのは読みかけていた本の読了。兵庫県が輩出した民俗学の大家、柳田國男先生の「神道と民俗学」です。

民俗学の真価を再認識

この書籍は戦後、GHQによって焚書とされ、この世から抹殺されていたのを最近復刻されたのを見つけて購入しました。柳田國男先生といえば、姫路から北に上がった福崎町の英雄で地元福崎の立派な資料館がある他、河童が川から出て来るモニュメント?を町が資金を出して設置したことでも有名になりました。
民俗学というと、民芸品や日本各地に伝わる御伽噺や伝説、方言などの研究をされていたのだろうと私は勝手に思い込んでおりました。21世紀の現代を生きる私達にはあまり関係無かろうと。しかし、この書籍を手に取って柳田國男先生がいかに偉大な功績を残されて私の様な民俗学に興味を持っていない無学な者でも名前を聞き覚えているのが分かりました。今更ながら民俗学とは広く日本の地域の津々浦々に残る伝承を採集し日本人のアイデンティティを探し、明らかにする取り組みだったのを理解した次第です。

神道と民俗学 目次

エスノグラフィーの教科書

この「神道と民俗学」は世界最古にして最長の国と言われる日本の悠久の歴史を歴史を中央から紐解く神道と逆の立場で縄文時代から綿々と続く日本各地の土着の祭を切り口にその共通点や差異についての問いを明らかにする民俗学の立ち位置の違いを繰り返し言及しながら、あまりに少ない各地方の伝承の文献に怯む事なく、各地に足を運び現地に住む人の言葉を採集し分類分析し続けてのはまさにエスノグラフィーで日本人の信仰は決して中央集権国家から各地に押し付けられたものではなく、仏教の様に外国から伝来されたものでも無く、民族としての共通の価値観が熟成されて来ているのを明らかにされています。

イザベラ・バードへの嫉妬

幕末から明治維新にかけて、日本の土着文化を探究したといえば、いまだにエスノグラフィーの第一人者として語られるイザベラ・バードが有名です。私は高橋克彦さんの小説「ジャーニー・ボーイ」を読んでその行動力に圧倒されると共に、東北地方の人々の暮らしに入り込み参与調査した文献をイギリス人女性が残している事に対して若干の悔しさを感じた覚えがあります。土着の民のそれぞれにとってはごく当たり前の暮らしにも長らく分断されていた畿内と蝦夷を根本で結びつける日本の文化の端々が見られる事に日本人の学者は何故着目しなかったのか?との疑問です。

高橋克彦著「ジャーニーボーイ」

全体最適の信仰

その様な私の疑問は単なる勉強不足であり、全国津々浦々の先祖代々の言い伝えを採集して学問として形を成そうと奮闘された柳田國男先生の業績を知り、恥ずかしく思うと同時に胸がすく思いがしました。
この「神道と民俗学」はそのタイトルの通り、二つの学問の関係性や立ち位置を詳らかにしつつ、当然、切っても切り離せない深い関わりがある事実を謙虚かつ慎重ながらも文献や遺跡に頼らない無形の証拠を集めて明示しています。
それは現在、宗教観を失ったとされる日本人の根底に流れる価値観、精神性です。個人の願いや祈りを行う個人宗教と言われる仏教とは一線を画す、氏神単位で氏子がコミュニティとしての幸せ、全体最適を祈る各地の祭は死後に土に帰る埋葬と先祖供養と相まってあらゆるものに神が宿る八万の神への宗教觀へと定着していったとの説は同意を通り越して全面的に受け入れてしまう論調でした。

焚書になった理由

この本を読み終わるまで、民俗学の研究者が書いたこの様な学術的な大人しい書籍に対してGHQが何故焚書にしたのか?との疑問が頭の片隅にずっとこびりついておりました。しかし、土着の思想と神道との密接な関わりとそこから醸し出された日本人の精神性を紐解く事でアメリカが恐れた日本の正体を垣間見た気がします。奇しくも、令和五年の年頭に際して私がnoteに書いたのは日本人の宗教観と混迷を深めるこれからの世界に対する向き合い方です。
今、世界で求められている持続可能性と循環型のエコシステムの構築、そして差別、分断、格差の拡大を無くそうとの大きな流れはそもそも世界で最も長く国家としての体を保って来た日本に存在していた観念であり、平和で成熟した世界へと歩みを進める上で大きな役割を果たさなければならない、微力ながら自分もその様な大局観をもって歩みたいと改めて決意させられた書籍でした。新年に読まれるのに是非手に取って頂きたい一冊でした。超絶オススメ致します。

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三方よしに代表される日本型ビジネス感を根本に据えた、地域企業からのムーブメント「令和デモクラシー」を推し進めています。


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