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そこはかとない違和感こそが探究への原動力

梅雨の真っ只中なのを忘れさせる気持ちの良い晴天が続きます。今日はなんでも天赦日で一粒万倍日のスーパー開運日らしく、何か新しい事を始めるには打ってつけの日和だったようです。結局、自分では何一つ新しいことに足を踏み出したわけではありませんが、顧問先のスタッフとの1to1セッションでは、今まで通りの行動では今まで通り、少しの時間を割いて新しいことに取り組めば、必ず何か違う世界が見えるはずだと、一歩踏み出す勇気を持つことを厳しくしつこく勧めておきました。人間は誰しもその人しか持っていない才能を秘めており、良き意図を持って主体的に人生に向き合えば、必ずその才能を発揮することができると言うのが私の持論です。とにかく新たな一歩を踏み出すきっかけを渡せていることを祈ります。

モチベーションの源泉はなに?

先日、とあるウェブメディアの取材を受けた際に、インタビューを終えた後の雑談で、「高橋さんはどのようなきっかけで学びを深めたり、長くブラッシュアップの取り組みを継続されて来たのですか?」との質問を受けました。多分、20年以上前に勢いだけで経営者となり、暗中模索の中、私がこれだ!と見出した光明がビジネスパーソンなら誰もが1度は読んでことがある「7つの習慣」と言うあまりにも有名すぎる何のインパクトもない書籍がきっかけだった。との私のコメントに違和感を覚えてのツッコミだったのだと思います。実際、私は、7つの習慣を基本としたロジックを組まれたマーケティングのバイブルと言われたジェイエイブラハムの「ハイパワーマーケティング」を深く学び、実業のスキームにそこに書いてあったコンテンツを落とし込み、宣伝広告不要の売り込みをしない事業モデルを構築してきました。そして、それにも飽きたらず、様々な学びの場に足を運び続け、原理原則系のマーケティングの源泉は上杉鷹山であり、山田方谷であり、二宮尊徳だと、日本古来の商売感である「三方よし」の概念こそが持続可能な事業モデルには必要だと代表を務める事業所のビジネスモデルの見直しと刷新を繰り返してきました。それらのしつこく、長きに渡りブラッシュアップを繰り返してきた取り組みは一体どこにモチベーションがあったのかと、インタビュアーの方は不思議に思われたようです。

二宮金次郎

喉の奥に引っかかる小骨

実は、私が遅まきながら30代から経営を学び始め、50歳を過ぎても未だに熱心に学びの場に足を運び続ける理由は、はっきりとは意識できない「そこはかとない違和感」の正体を知りたいと思うからです。30代の時に初めて「7つの習慣」を手に取って、原理原則に則った思考の積み重ねこそが今目の前にある問題の根本的解決へのアプローチになると理解しましたし、ジェイエイブラハムの「恋人のように顧客に接しろ」という言葉に象徴される愛こそが経済の原動力になる考え方に目を覚まされるような衝撃を受けて、それまでの自分の仕事のスタンスを大きく見直しました。そして、マーケティング思考と呼ばれる考え方の根底に流れる「状態管理」の概念は今も私の胸の奥に深々と根付いてすべての基準になっています。
にもかかわらず、スティーブンコヴィー博士が生前に来日された際の六本木ヒルズのセミナーで直接目の前にコヴィー博士を見ながら、「心の中のボイスに耳を傾けろ」と言われた際に、なんとなく正体不明のそこはかとない違和感がシコリのように感じたのを今も覚えています。憧れのコヴィー博士の生ライブセミナーは最高でしたし、内容も非常に満足がいくのでしたが、なぜかどこか引っかかるものがあったのです。今思えばその正体は、コヴィー博士に向けられたものではなく、自分が生きてきた世界と、人生の成功者を標榜する人たちが集まった場との世界観の違いだったのかも知れませんが、とにかくしっくりこない部分があったのは事実です。

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「ビジネスの未来」への違和感

話は変わって、最近久しぶりに読了したビジネス書に山口周さんの「ビジネスの未来」とのベストセラー本があります。同氏が上梓された前作の「ニュータイプの時代」も大いに共感し、講演を依頼されたあちこちの会場でオールドタイプとニュータイプの比較を頻繁に引用させて頂きました、今回の著書も私たちが長年目指し、取り組んできた自律循環型ビジネスモデルの構築、地域における循環型社会の実現がようやく時代の要請になってきたんだと背中を強く押していただいたような感覚で、大いに勇気づけられながら読ませてもらいました。本についての紹介はまた改めてまとめてみることにしますが、私と非常に近い世界観を持っておられると思っている山口さんの著書でさえ、諸手を挙げて賛同すると言うよりは、そこはかとない、それが明確にはわからない違和感が残りました。

今日の夕方からは、ティール組織の実践者の方達に教えを乞いながら学びを深める「自然経営研究会」のダイアログに参加しました。そのセッションの中で珍しく、不動産、建設、住宅業界の深い闇とこれまでの住宅政策の大きな問題が指摘されたこともあり、ダイアログ終了後の懇親会で、先進的な理論を掲げられるゲスト講師の武井さんに、組織変容のプロセスで(建築業界で圧倒的なマジョリティーである)成熟度が低い人に対する段階的かつ一方的な教育が必要であるとの、私が考えている子供の世界と大人の世界を分断して、ステップ化する組織体系を作り上げることについて意見を聞いてみました。結果的には、業界や業態によって様々な形があるし、どれも正解も不正解もないと言うことで明確な答えを見つける事はできませんでしたが、少なくとも、業界によっては前時代的なプロセスが必要である側面もあるかも知れないとの着地がありました。

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考えるな、感じろ!

「役に立つ」から「意味のある」コンテンツに移行すべきとか、マーケティングの限界の外に存在する問題に取り組んでみるべきとの山口周さんの著書に示される時代の変遷に対する認識も、ティール組織などにみられる新自由主義的資本主義社会の次の時代、共感型資本主義経済を見据えての先進的な価値観に対しても私は深く共感しますし、自分自身が目指してきた世界観にも非常に近しいものを感じます。できればその世界の住人になりたいとも思います。しかし、いつもなんとなく、そこはかとない違和感を感じるのは、私が建築業界で職人という圧倒的に強大なヒエラルキーの底辺から這い上がってきた経験則に社会システムの真実を見過ぎてきたからなのか、時代の変化をモノともせず頑強に変化を拒む業界に居続けているからその価値観を引きずっているからなのかはわかりませんが、同じ理想に共感。共有しながらもどうもしっくりこない部分が常に残ってしまいます。これまで、私はその違和感をネガティブなものだと認識しておりましたが、上述のウェブメディアのインタビューアーの質問や、今日の自然経営研究会のダイアログでのセッションを通して、自分の中の止む事のない探究心の源泉は、その「そこはかとない違和感」の正体を突き止め、解消したいとの想いからなのだと改めて認識することができました。そう考えると、気づきというよりもっと前の段階で「兆し」を敏感に感じとるのはロジックではなく、感覚であり、違和感を覚えることだとキングダムに登場する本能型の列強の将軍たちのセリフにもありましたし、その感覚を信じ、大切にしていきたいと思った次第です。考えるな、感じろ!ですね。

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