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(世の中の)真実は体感してみて(自分の)真実になる。

秋らしい爽やかな青空が続く今日この頃、私が住む神戸の片田舎では曼珠沙華がきっちりと秋分の日に合わせて咲いています。晴れ間の中にも時折涼しい風が吹く気持ちの良い天気に誘われて、三連休の最終日、久しぶりに自転車に乗って出かけることにしてみました。しかし、好事魔多し。と昔から言われますが、気持ちよくサイクリングを楽しんでいたら生まれて初めての事故に巻き込まれてしまいました。

日常はいつも突然失われる

それは、見通しの良い片側2車線の広い、そして長い坂道が延々と続く道でした。私はダウンヒル気分で機嫌よく坂道を自転車で下っていました。大きな交差点に差し掛かり、右折車が道路の中央に近づいてきたのは見えておりましたが、とても視認性の良い場所なので気にも留めずにそのまま交差点内に走り込むと、なんと!対向車はよそ見をしていたようで、自転車の私に気づかずそのまま右折、あっと気づいた時には横から突っ込まれていました。一瞬、何が起こったか分からないまま、アスファルトに投げ出された私は顔面から流血し、意識朦朧とした状態で倒れてしまいました。その後の現場検証では3mほど飛ばされていたとのことでしたが、全身に衝撃を受けると人間すぐには身体の機能が麻痺するようで、久しぶりに全身に力が入らないのを体験しました。少し時間が経って、なんとか歩けるようになったのですが、自転車で跳ねられるのはそれなりにダメージがあり、顔の裂傷だけでなくあちこちに擦り傷や切り傷があり、そのまま救急車で搬送されました。

3つの真実が自分のものになった瞬間

病院で検査を受けた結果、ヘルメットを被っていたおかげで脳にも異常はなく、受け身を取れていたからか骨折もありませんでした。自転車で車に跳ねられて重症や死亡する確率がどれくらいかは知りませんが、決して少なくないであろうことを鑑みると不幸中の幸いとしか言いようがありません。そういえば、と思い出したのは、知り合いがバイク事故で亡くなったのを機にバイクだけではなく、二輪車は全てやめると趣味にしていた自転車も処分されたことでした。とにかく、大したことにならなくて本当に良かったです。
今回の事故遭ってすぐに考えたのは、少しタイミングがずれていたらこのままあの世に行ってしまっていても少しもおかしくない、生きているのはたまたまなのだ、との事実です。人が決して逃れられない3つの真実「人は必ず死ぬ」「人はいつ死を迎えるか分からない」そして「人は皆、刻一刻としに近づいている」を本当に自分自身のこととして実感できました。

フレームが引きちぎられたバイク

顔に刻まれた戒め

九死に一生を得た。というには少し大袈裟ですが、何事もなく自分の足で歩けるだけでも恵まれている、生かしてもらう事ができたのだと、改めて命の使い方を考え直し、いつ死んでも悔いがないように毎日を過ごさなければならないと思った次第です。ただ、人は喉元過ぎれば熱さを忘れるもの。少し時間が経てば、またすっかり普段の暮らしに戻ってしまうのも想像に難くありません。そうならないように、今、私が消えた時にどうなるかを詳細にイメージしながら、自社の事業や多くの人を巻き込んで行っているプロジェクトの立て付けを考えて行かなければと思います。ちょうど、額に簡単には消えそうにない大きな傷が刻まれたことを幸いとして、毎朝、鏡をみる度にそれを思い返し、常に戒めにしたいと思います。

200名を超える多くの方からのお見舞いのメッセージ、こんなにも多くの人が私の命に関心を持ってくれているのだと驚くと共に嬉しくで心に響きました。心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。私は元気です!

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経営者向けに死生観を持った生き方の研修も行っています。

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