ミッドナイト・イン・トーキョー
昔から、「あの頃は良かった」って言うのが嫌いだった。それは今の否定になると思っていたから。それでも、未来の自分にとって、今過ごすこの時間は「良かったあの頃」になるのかもしれない。深夜の東京で、ふとそんなことを考えた。
スマホを手放して
一人で入った焼肉屋で、スマホの充電が切れそうなことに気づく。
「充電切れそうなんで、会計、先に済ませていいですか?」
そう聞いてPayPayを開く僕に、店員は「あ、じゃあ充電しますか?充電コード、全部揃えてますよ」と返事をする。
Airpodsで作業用BGMを聞きながら、Kindleで小説を読んでいた僕は、その誘いに乗ったものの、スマホを店員に渡してしまって気付く。「あ、暇だ」。
特に暇をつぶすアテもなく、ただ目の前のホッピーと向き合う。目の前にスマホもテレビも本もないひとりの時間は久しぶりな気がする。
音楽が止まってしまったAirpodsを外す。10分ほど経ったらスマホを返してもらおう。そう考えつつ、ただただぼーっとする。何もすることがない時間というのも、案外心地がいいな、と思う。
気づけば、この身とリュックひとつで上京した日からの3年間を振り返っていた。22年間、地元で過ごした僕にとって、新卒で上京してからの日々は、いい思い出ばかりではなかった。大学時代とは違い、「ちょっと飲もうぜ」と気軽に誘える暇な友人が近くにおらず、ひとり寂しくお酒を飲んでる自分をちょっと情けなく思う。
空になった耳に、大学時代によく聞いていた曲が店内放送で流れた。ユニゾンスクエアガーデンの『桜のあと』。
特にその曲の歌詞が響いたわけでもないし、そもそも、ボーカルがなんて言っているのかもよくわかっていなかったけれど、手持ち無沙汰のまま曲を聴いていると、「大学時代は楽しかったなぁ」なんてことを考えてしまっていた。
「あの頃は良かった」という言葉が嫌い
僕は、「あの頃が良かった」って言葉が嫌いだ。昔を振り返って、それを「良かった」と言うのは、今を生きる自分を否定することだと思ってしまって。
それなのに、「大学時代は楽しかった」なんて考えている自分に、少しいら立つ。「よくないな」なんて思うけれど、スマホが手元にないもんで、そんな葛藤を吐き出すためのツイッターも、気を紛らわすためのラジオも音楽もない。とりあえず、手元のキンミヤをホッピーで薄める。
そのとき、不意にこんなことを考えた。
「いつか、俺はこの今の瞬間を振り返り、『あの頃は良かった』なんて思うのだろうか」
もしも数年後の自分が、「26歳の頃は、妙なことに悩んでいたなぁ。あの頃はなんだかんだ、楽しかった」なんて思ってくれるのであれば、それは、救いのように思えた。
僕は今を、いつか「良かった」と言う
過去の自分を羨ましがることは、今の自分を否定する行為だと思っていたけれど、それだけではないのかもしれない。
もしその行為が、その瞬間の自分自身から目を反らすことだったとしても、それは「過去の自分の肯定」でもある。
今思い出す「あの頃は良かった」対象の自分は、悩みの真っ最中にいたし、昔の自分を思い出し、「あの頃は良かった」なんて考えていただろう。
自分は今、未来の自分からうらやましがられる今を過ごしているのかもしれない。そう考え、少しワクワクした。
「古き良き時代」には綺麗なものが残る
「人は誰しも、過去を羨ましがってしまう」
先日、『ミッドナイトインパリ』という映画を観て、そう感じた。
パリを舞台にした映画で、主人公は、ハリウッドの売れっ子脚本家だが、どこか満たされず、本格的な作家への転身を考えている。主人公は、深夜0時を告げる鐘の音に導かれ、活気漲る芸術&文化が花開いた1920年代へとタイムスリップする――という映画だ。
この映画を見て驚いたことがあった。1920年代のパリと言えば、ヘミングウェイ、ダリにゴーギャンにピカソ……と、歴史に名をのこす偉人たちが多くいるにも関わらず、そんな中で、とある女性が「昔は良かった」なんてことを言う。その女性にとっての今は、主人公が羨ましくて仕方がない時代であるにも関わらず、だ。
この話をみて、「古き良き時代」という言葉を思い出した。何かのドラマでキムタクが言っていたイメージがある。辞書によると、
現在と比較して、過去のほうが素晴らしかったという前提に立ちながら懐古する語。
って意味の言葉らしい。
僕たちは、過去の良かったことを思い出して、悩んでいたことになんて、目を向けない。数年後の僕も、今の悩んでいる日々を「いい思い出だ。あのころは楽しかった」なんて語りかねない。
この瞬間は、未来できっと「古き良き時代」になる。それは未来に「今」が肯定されるということだ。「あの頃は良かった」と振り返る行為は、悩んでいた過去の自分を救うものであるのかもしれない。
いつか、未来の自分は今を思い出すだろう。そして、そのころには今の悩みも葛藤も忘れてしまっているはずだ。せめてあなただけは、この惨めにも思える今を肯定してくれ。
空になったホッピーを飲み干し、店員からスマホを受け取る。会計を済ませて、店を出る。
こんな日も悪くない。帰り道を歩きながら、そんなことを考えたミッドナイト・イン・トーキョー。
【おしまい】
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