美味しく作るのに必要なのは、おしゃべりかもしれない。

有賀薫さん@kaorunの「帰り遅いけどこんなスープなら作れそう」というレシピ本がヒットしているようだ。薫さんには、以前から料理好きの食いしん坊仲間として仲良くしていただいていて、スープ作りについても、スタートされた頃からずっとSNSで拝見しているので、私も嬉しい。
料理にまだ慣れていない読者を想定したこのレシピ本、私はもう慣れている人間なので、見知らぬ方の本であれば、正直気に留めない可能性が高いけれど、そういった関係もあって、また、制作に纏わる話を、薫さんや編集の野本さんがSNSでシェアしてくださっていることもあって、興味深くページをめくった。(レシピをヒントに、作ってみたりもしました。)

レシピを読みながら、自分自身の、料理の原体験を思い出した。このnoteにも書いた、ジャガイモをレンジでチンして作った初めての「料理」や、目玉焼きづくりのことだ。

何かが上手になった人というのは、過去に何かしら成功体験があることが殆どだろう。逆に、成功体験が無いがゆえに、きっかけがつかめず、自信が持てないままというケースも多いと思う。プロ野球選手とかトップセールスマンのような高レベルな話ではなく、日常的に普通に生きていくために必要な程度の、それこそ料理というような生活スキルにおいてさえ、そういうことは多々ある。
薫さんのレシピを読んだり、SNS上で交わされる、薫さんと読者の方とのやりとりを見ながら、料理にイマイチ自信がない人のその理由というのは、できるようになった人が早い段階で体験したであろう成功体験、しかも「極めてプリミティブな、調理にまつわる成功体験」に出会うチャンスがなかったということなのかもしれないなぁ、と感じた。
私自身でいえば、「レンジでじゃがいも」や、「上等な目玉焼き」が、そのプリミティブな成功体験で、そういう体験ができたことはラッキーだったといえる。しかし、この単純な成功体験が、もし、大人になってからのものだったとしたら、私は、当時と同じくらい新鮮な気持ちで発見し、驚き、喜べただろうか。むしろ、周囲の「すでにできるようになってる人」と比較して、私はまだこの程度かと、せっかくの喜びを自ら無視していた可能性が高いのじゃないだろうか。私はまだ子どもだった。できなくて当たり前で、どんな小さなことでも、できるようになったらそれは大人に近づいたという証で、何より、周りの友だちが料理ができるかどうかなんてまったく気にもせず、単純に、やってみたらできた、こうやったらうまくいくんだ、という発見と喜びを、遊びながら全身で味わっていた。
大人になった「できる人」が、同じく大人になった「まだできない人」に、簡単でいいんだよ、レンジでチンすれば立派に食べられるでしょう、と親切心でアドバイスしても、なかなか本人の自信と結びつかないのは、子どもと大人の、決定的な違いなのだ。

薫さんの本をめくりながら、今回ここに収められているのは、まさにそういう「プリミティブな調理体験集(しかも必ず成功する)」だと思った。その体験を、「本」と言う形で、「プロの料理研究家」が、「肯定」してくれている。大人になってしまい、自分自身の感覚でもって感じ取ることが難しくなった小さな成功体験は、プロのお墨付きとして提供されることで、彼ら彼女らに届いたのだ。
薫さんのTwitterをフォローしているので、彼女の元に届くリプライの中に「レシピにはなかったけど、この材料を入れてみました」「今回はこう工夫してみました」というものが多いのがよくわかる。レシピ通り、頑張ってきちんと再現してできましたよ、にとどまらず(もちろんそういう人もいるし、レシピなんだからそれでいいんだけど)、一度作った人たちが、あるいは初めて作るときから、レシピのポイントを自分のものとして、すぐに動き出しているのだ。薫さんのレシピが、プリミティブな成功体験そのものである、何よりの証だと思う。

複雑な材料と手順が事細かに指示され、誌面と鍋の中を何度も見比べながらようやく完成させるような料理は、たとえ美味しくできたとしても、初心者にとってはなかなか身につかず、次につながらない。しかし、薫さんの本を通して今回成功した人たちは、きっと、これからもまた小さなチャレンジができるだろうと思う。プリミティブな成功体験とは、そういうものだ。至極初歩的で単純で、少し上達した人なら無意識にスルーしてしまいそうなくらい当たり前のプロセスは、それゆえに本質的で、頭にも身体にも残りやすく、やがて無限の応用へと繋がる素晴らしい礎となる。

話は変わるが、2ちゃんねるの料理板で、かつて「鶏ハム」が話題になったことがあった。鶏胸肉に砂糖と塩を塗り込んで寝かし、沸騰したお湯に一定時間入れて仕上げる、あれだ。今は一般にも浸透した感のある「鶏ハム」は、実は浸透圧や蛋白質の凝固温度といった科学的な裏付けによって美味しく仕上がるのだけど、そういう実は科学的なことが、画面上に並んだ文字だけでわかるくらい単純に、そして誰でも再現でき得る数字と手順(大さじとか火にかける時間とか)でもって書き下されていた。しかも、材料は安くてだれでも手に入れやすい鶏胸肉だ。
ネットの掲示板という特性上、ちょっとした秘密の共有という雰囲気があったのもよかったかもしれない。仲間に秘密のコツを伝授し、喜びを分かち合う、子どものいたずら遊びとか、井戸端会議みたいな、そんなノリもあった。

主婦同士の井戸端会議では、我が家の得意料理のちょっとしたコツが、八百屋の店頭では、珍しい野菜の調理方法が、口頭で簡単に手短に、かつては伝えられ共有されていた。今では、そんな機会も減っている。それに、今は男性だって料理する時代だ。井戸端会議や八百屋に行かない層だって、厨房に入る。

料理離れが叫ばれる一方で、料理ができない苦手だと、悩む人たちがいる。しかし、もしかしたらその解決の鍵は意外に単純で、必要なのは、日常の合間の井戸端会議で充分共有できるレベルのもの、あるいは、子どもや下宿暮らしの若者が、手近な材料で半ば戯れに作り、美味しいのができちゃったぞ!と、仲間と盛り上がっちゃうようなノリの、明るい共謀のようなものなのかもしれない。そういえば、薫さんと読者の方との、Twitter上でのやりとりだって、「やってみた」とか「それいいね」といったような、おしゃべりと小さなチャレンジと共感で成り立っている。
ニヤッと笑っておもしろがりながら、それなら次は、と気楽に手を出す。そんな風に料理できる人が増えるといいなと思う。


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