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隣のキッチンの扉を開く

先日、下北沢B&Bで行われた、スープ作家有賀薫さんの『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)刊行記念トークショーに伺ってきました。対談相手は、生活史研究家/作家の阿古真理さん。お二人とも仲良くしていただいているので、遠慮なくかぶりつき席にて。

その中で、印象に残った話題がありました。スープが、まだ案外に日本の家庭料理としては定着していないのでは、という話の流れだったと思いますが、今やおなじみのトマト缶の歴史が日本ではまだ新しく、バブル期を経てイタ飯(イタリアンのことですよ、念のため)が流行して以降、ミネストローネなんていうイタリアのスープもその頃ようやく知られたのだ、という話。

イタ飯という言葉が流行ったのは、私がまだ10代の頃で、当然のごとく料理もしていない時期なので、トマト缶の普及については、へーそうかー、そうかもなーと聞いていたのですが、同時に、大学時代、90年代後半に一人暮らしを始めた友人の言葉を思い出していました。
彼女曰く、「トマト缶さえあれば、ご飯はなんとかなる。」当時まだ実家暮らしで、ろくに料理をしていなかった私も、それには頷いた記憶があります。ミネストローネ(は、必ずしもトマト必須ではないそうですが)やラタトゥイユといった、メインにもパスタソースにも、なんならカレーにも転用できる、若い胃袋には嬉しい洋風ボリュームおかずは、冷蔵庫にある適当な食材をすべて鍋に入れるだけで、あとはトマト缶がまとめてくれる。手順はどれも基本的には同じで、オリーブオイル(これもまた同じくらいの時期にようやく普及しだしたとか)でニンニクを炒めて、具材を次々炒め合わせて行き、最後にトマト缶と必要なら水分を加えて蓋をすればOK。
料理初心者の私にとって(もしかしたら彼女にとっても)、味噌汁よりも肉じゃがよりも、身近な存在だったのが、イタリア的な煮込み料理と、トマト缶だったような気がします。そのトマト缶が、普及からさほど時間を経ていなかったとは。
トマト缶がなかったら、イタリアンブームがなかったら、私たちはどうなっていたのか!?

今の私は、中華圏の家庭料理を次々調べては作る、という日々を送っています。今まで知らなかった美味しさや、異文化のことを知りたい伝えたいという希望に加えて、根底に持ち続けている思いがあります。今当たり前に受け入れているコトは、当たり前でも絶対でもない。少し視線をずらせば、もっと自分(たち)にフィットするアイデアややり方があるかもしれないということ。かつてトマト缶が私たちを楽しませ、助けてくれたように、隣の文化圏に当たり前にある習慣が、私たちの目の鱗を落としてくれるかもしれないということ。異文化の「異」ではなく、同じ人間として、同じ時に別の場所で重ねている「生活の知恵」に目を向けていきたいということ。

例えば、今読んでいる本は、中国のイスラム教コミュニティに住む人たちの食生活に関するフィールドワークレポートなのですが、彼らは、日本の一般的な食事のように、毎食新しくおかずを作ったりはしないそうです。作るときには大量につくり、冷蔵庫や、場合によっては食卓に出したままにして、必要な人たちが次々食べる。残り少なくなれば、新しいおかずに転用したり、作り足したりするというやり方で、一汁三菜なんて「枠」は当然ないし、常備菜的といえども、日本のそれを遥かに越えた作りおきっぷりのようです。
このところ、仕事の密度が濃くなって、体力的にも時間的にもどうにかしないと厳しいなぁと考えている私は、密かに、このやり方を応用できないだろうかと考え中。今まで常備菜には興味がなかったのですが(休みの日にまとめて作るなんて、それはそれでしんどいし、毎日おかずが決まってるなんてつまらない)、ストックとしての常備菜ではなく、フローとしてのおかずの回し方と考えれば、なんとなくすんなり受け入れられそうな予感がするのです。

もちろんこれはあくまで一例。
今までと異なるやり方には、抵抗を示す人はたくさんいるでしょう。家族がいれば、自分の都合ばかりというわけにもいきません。が、別のやり方がある、縛られる必要はない、と知るだけで、どれだけ救われるかと思っています。
上の世代にとっての、外国からやってきた目新しい流行の食べ物が、私たちの世代の料理のスタートを劇的に楽にしてくれたように、横に視点をずらすことで開く扉を、私は開けていきたい。異文化を、異なるものとして消費するのではなく、同時代に在る生き方の一つとして、繋いで行けたらと願うのです。

薫さんと阿古さんのトークショーの最後に、私も「レシピ文化研究家」として紹介していただきました。レシピ研究家ではなく、レシピ文化とはなんぞや、という疑問を持たれそうですが、以前「レシピの向こうの大海原」でも書いたように、遥かに広く多様で、それでいて私たちと全く同じ人間が生きる世界を、生活料理や食べることを通じて探求、紹介する役割を担いたいという意味の肩書です。

当面の小テーマは、「中華饅頭(包子、花巻)」。中国北部地域を発祥として広く伝わる中華パンについて、レシピを読み解きながら、実際に作りながら、こちらでも紹介していこうと考え中です。

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