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WBCを観て、祖父を思い出しました

3月9日のWBC 中国VS日本 戦

3月9日、『中国 対 日本 戦』を、会社の方々と(会社の)講座卒業生の方と
一緒に観てきました!

野球のルールを全然知らないのですが、みんなでワイワイ観戦できて、とても楽しかったです😊それと同時に、6年前に突然この世を去った母方の祖父が恋しくなりました。


祖父は大の阪神ファンで家に遊びに行くと、いつもテレビに映っているのは、野球。

真剣に、でも楽しそうに野球を見ていたので、野球の面白さやルールなどについて聞いてみたこともありました。でも正直、全然理解できませんでした。


とは言え、野球に面白さは見いだせなくても、祖父のことが大好きだったので、野球を見る祖父の隣に座ってぼーっと見ることも多々ありました。

そんな思い出があるので今回野球を観ていて、急に祖父が恋しくなったんです。


祖父の急逝

私の祖父は、私が高校3年生の時に亡くなりました。1月末の夜中でした。



(記憶は定かではないのですが、)亡くなる半年ほど前、祖父母の家に行った時、母と祖父がちょっとぶつかったんです(喧嘩、っていうほどではなかったかな…?)。でも、また、そのうち仲直りすると思っていたし、お正月に、また遊びに行くだろうから、とあまり気にしていませんでした。


12月。

母が祖母に連絡。
祖父が熱中症で病院に運ばれ、もう家には帰ってこれない状態だということを聞きました。衝撃でした。でも、大したことないんだろう、と思ってたんです。


お正月。

母と一緒に、施設にいる祖父に会いに行きました。

愛犬も一緒にいたため、まずは母が面会。その後、私も祖父に会いました。約半年ぶりに会った祖父は、痩せ細り、私のことを認識できていませんでした。直前に母に会ったからか、「(母の名前)によう似とる」って言うんです。それに対して、「うん、娘やからなぁ」しか返せませんでした。

ショックでした。

でも、生きてくれてるなら、それでいい。今日はあんまり話せんかったけど、また会いに来よう。受験が終わったら、いっぱい会いに来よう。
そう思っていました。


でも、現実になりませんでした。


1月末。

塾から帰り、その日はなぜか夜中まで起きてました。そして、叔母から電話がかかってきたんです。叔母から電話が来ることはないので、「こんな時間にどうしたんやろう?間違い電話かな?」と思いながら、出ました。そしたら、暗い声で「じいじが亡くなりました。」と。


時が止まりました。
叔母の後ろで、祖母が泣いているのが聞こえました。


叔母の電話を切り、母を起こしに行きました。そして自分の部屋に戻り…

それまで涙が出なかったのですが、自分の部屋に戻ってからは、涙が止まりませんでした。


冷たくなった祖父に会った時も、葬儀中もずっと涙が止まりませんでした。葬儀が終わり、受験勉強を再開するも、祖父のことを思い出しては泣いていました。


当たり前は当たり前じゃない

野球のルールや面白さを祖父に教えてもらおうと思っても、祖父と一緒に野球観戦したいと思っても、もう、そんな些細な願望が現実になることはありません。


今回、野球を観て、祖父を思い出し、改めて思ったことがあります。

『何気ない日常って、当たり前のようで当たり前じゃない』


大切な人が生きていることも、大切な人と話ができることも、一緒にご飯を食べられることも、些細なことに思えるかもしれませんが、それって本当にすごいことだな、と思います。


だからこそ、今目の前にある日常に感謝しつつ、大切な人との一瞬一瞬を大事にして、毎日を全力で生きていきたいな、と改めて思いました。

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