恋愛エッセイ「猿とエリートの違い」


個人的に思うに、一流の男の魅力は(恋愛エッセイ「女をあてがえ」でも語ってます)、自制心と自己コントロール力がその1つかなと。
ただまあ、そういう一流の男は恋愛にも慎重な傾向が強く、しかも恋愛も仕事並みにがっつりコントロールしようとしてくるので、とっとと衝動的に進めたい私にはフラストレーションたまるばっかりなんだけどね。
今の私の好きな人は、その中でも自制と自己コントロールの鬼みたいな人なので、進展はお察しください。

ただ、まったく進展がないかというと、そんなことはなく、つい最近進展はありました。
オンラインレッスンで、彼側の音声を、以前より大きく設定してくれるようになりました。
一歩前進です。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「で?」と思ったそこのあなたのために解説すると、声を大きくすると(=たぶんマイクの感度を上げると)、声の微細な変化が相手に伝わってしまうんですよね。
それを避けるために、今まで彼はマイクの感度をギリギリまで低く抑えてたんだと思います。
少しは彼に信用してもらえた証かなと思ってます、はい。

で、マイクの感度があがったおかげで、何か情報が拾えたかというと、残念ながらノーです。
冒頭、緊張気味か?とは思ったけど、すぐに普段通りに戻ったし。

話を一般論に戻すと、世間一般的には、たくさんの女性とセックスする年中発情してる猿みたいな男が称賛されるのは知ってます。
私からすると、ヤリ*ンは自制心も自己コントロール力もない、それはつまり人間ではない何かという認識になるので、興味の対象外だったりするんですけどね。

人間が他の動物たちから秀でていることがあるとすれば、自制心と自己コントロール力のみかなと。
つまり、それが欠落しているということは、動物とさして変わらない。
人間は頭脳が発達してるやん!とか思うかもだが、それはチーターの足が速いのと何も変わらない。
頭脳はただのツール。
ツールをコントロールする魂のクオリティに寄与するものの1つ、つまり、自制心と自己コントロール力があなたの格を決定づける。

で、人間がもし他の動物たちより神に愛されているのだとすれば、魂のクオリティが他より高くなるポテンシャルがあるからだと思うんだよね。
ツールは神が与えたものなので、ツールの良し悪しは、神もさして興味ないと思う。
神が与えたツールで、あなたがどこまで魂を磨けるかが重要なことじゃないかな?
魂を磨けば、一見絶対的に見える、神が与えたツールの序列さえひっくり返せる可能性も秘めてるし。

自制心と自己コントロール力がある、というのは何か?
例えば、たくさんの女性とセックスしたいという本能を抑えて、ただ1人の女性にすべてを捧げる、とか。
例えば、自慢話をして自己顕示をしたい、承認を得たいという欲求を抑えて、目の前の人の話に耳を傾ける、とか。
まあ、厳密に言えば、本能や自己顕示欲・承認欲求を抑えるというより、その場限りでそういった欲求を満たそうとするのではなく、長期的なプランを立てて欲求を満たそうと画策する人が、一流の男には多いのかもしれない。
長期的なプランを立てて欲求を満たすってのは、社会的に大成功して自然と自分がスポットライトを浴びる状況を作り出すとか、自分のレベルを上げていけばいずれ満たしてくれる人に出会えると信じるとか、あるいは自己満足ではあるが、本能や欲求を優先するより、本能や欲求を抑えることを良しとする魂的な価値観「美学」を守ることで、自身で満たす、とか。

社会的に大成功するってのが一般的なアプローチですよね。
けど、大成功したところで満たされるのかっていうと、結局それを維持するために競争はし続けなければならないし、集まってくるのは下心持ちの人ばかりで本当の自分を見てくれるわけじゃないし、大成功で満たされるにはもう一工夫必要かもしれない。
満たしてくれる人を見つけるってアプローチは、なかなか出会えずに、諦めるまでがセット。
諦めたら最期、美学を守ることだけでなんとか自身を満たすか、堕天するかのみです。
堕天というのは、開き直って美学を放棄したり、手段を選ぶのをやめるってことですね。
ちなみに、美学は人に見せるものではなく、自分を支えるためのものなんですよね。
誤解してる人多いと思うんですけど。
何にしろ、世知辛い世の中ではある。
本能を衝動的に発散したり、自己顕示欲・承認欲求を表面的に満たす機会はいくらでもある昨今だけど、本質的にそれらを発散したり満たすというのは、とても難しいので。

一応念のため言うと。
自慢話するのが悪いことだとは思ってないし、むしろ人類はもっと自慢話をしあい、自慢話を受け入れ合うべきだとは思ってる。
ただ、現状の自慢話が嫌われる世相で、誰にでも自慢話をしてしまうというのは空気が読めなかったり、衝動的だったりするからだと思うので、友人知人としては別にいいけど、恋愛相手として好みかというと、別の話になるかなと。

とはいえ、自制心と自己コントロール力は、もちろんなんでもそうだけど、諸刃の剣ではある。
あまりにも行き過ぎると自分を出せなくなり、面白味のない人に見られるか、あるいは周囲とのコミュニケーションに齟齬をきたしがちになる。
あまりにもなさすぎても、人間ではない何かになってしまう。
自制心と自己コントロール力が発達している人は美しいけど、自己の抑制(自制心と自己コントロール力)と(それら2つからの)解放のバランスがとれてると、もっと美しいかもしれない。

注意したいのは、あくまで美しいのは、自制心と自己コントロール力であって。
もとから穏やかな人で、自制や自己コントロールをしないと暴走してしまう何かのない人は、それはそれで良いことだとは思うけど、私は興味ないんだよね。
それって、ただの普通の人だからね。
何の苦もなく世の中に適応できてしまう人はお呼びでない。

で、今の私の好きな人についてだけど。
彼は、神にとても愛されてる人だと思う。
神に与えられたツールのレベルが尋常でない。
ツールを生かせるかは彼に委ねられてはいるものの。
ツールのレベルに伴うかのように、自制心と自己コントロール力も高く、だからこそその魂に相応しいだけのツールを、神に与えられたのかもしれない。
ややもすると自制心と自己コントロール力が行き過ぎる傾向はあるかなとは思うけどね。

そして、彼は、自己顕示欲・承認欲求が満たされることを諦めた人で、それでも堕天せずに、美学に従って生きてきた人ではないかと思う。
自己の抑制と解放のバランスには欠いているかもしれないけど、それはそれで美しいかな。
それがご本人にとって生きやすい生き方かというと、疑義があるけど。

たぶん、彼は生まれ持って物質的にも才能的にも恵まれた、真のエリート。
だからこそ、物質や才能の虚しさをかなり早くから知っていて、その2つで本能や、自己顕示欲・承認欲求が本質的に満たされることはないことを知っていたため、その2つ以上の何か、魂的な何かを生まれついたときから模索してきた人ではないかなと思うんだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?