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「お母さんありがとう」、って思う?

オーストラリア シドニー在住のキネシオロジスト、Shokoです。

こちらの季節は秋。少しずつ肌寒い日が増えてきました。

オーストラリアの街路樹個性豊かで大好き♡


オーストラリアも昨日は母の日。町には朝早くから朝食の買い物をしているパパたちや、花束を求めるキッズたちが多くみられて、とてもほほえましかったです。母の日の経済効果ってすごいでしょうね・・!

さて、母の日って、みなさんにとってどんな日ですか?
母親に心から「お母さんありがとう」と伝えられる方もいれば、人によっては悲しい、辛い、怒りが沸く・・ そんな風に感じる方もいるかもしれません。

そういう私も、子供のころからこういう母親/大人だけには絶対になりたくない!と誓っていたうちの一人。なので母の日とは長年、私にとっては特に何でもない日。母親とは今現在までもう17年ほど連絡を取っていません。

 私が働く植物たくさんのクリニックも母の日はソワソワ忙しかったですよ~!


母親のようにはなりたくなかった私。でも、かといって昔されたことを恨んでもいないし、憎んでもいない。嫌いでもない。じゃあ好きかといえばそうでもない。

どちらかの人生が終わるまでに、またいつか話せる時がきてもいいし、来なくてもいい。そんな風に思えるようになっていました。

また、何年もかかってそう心から思えるようになったことが、母親との関係に長年とても悩んで、それが人生のあらゆる方面に影響がでて心はボロボロ、不安定だった私がたどり着いた最善でもあったのです。

でもその私が、キネシオロジーの勉強やセッションを通して自分という存在の尊さ、自分という価値に気づいたいま、はじめて母親に対して「私をこの世に生んでくれてありがとう。」という思いがごく自然に湧きました。

「生んでくれてありがとう」なんて思ったこともなかったし、正直その言葉の意味が、いまいちよく分からなかったんですよね。頼んでないんですけど?みたいな。今思うと傲慢だなぁ、自分に対して失礼だったなぁと思います。

自分という価値に気づき、自分の中にある願いを知り、自分の人生で経験することすべて、酸いも甘いもぜーんぶ生きる悦びなんだと分かったとき、この身体という物質を世に送り出してくれたことに感謝でしかない。母親がこの私を生んでくれた、身体と人生を与えてくれた、もうそれだけでいい、十分なんだと知りました。



私たちは誰もが、生まれた瞬間からこの世に代わりのない尊いいのち。その事実に自分が気づいてはじめて、「私は自分の人生を、自分の願いを生きていくからね。お母さん、私を生んでくれてありがとう。」と、そんな風に思った母の日となりました。

また、生んでくれたことへの感謝と、好きとか嫌いとかいうのは次元の違う話だな、それは別でもいいんだな、とも思いました。感謝していて大好き!もあるし、感謝はあるけど嫌い!もあっていいと。

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だいぶ個人的な話を最後まで読んでいただきありがとうございます.*

みなさんはどんな母の日を過ごされましたか?
それぞれ全く違ったストーリーがあるかと思います。メッセージやコメントなどでぜひ教えてください。

Shoko x



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