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noteを始めた理由 -始まりの朝‐

自分を見つめなおすためにnoteを始める​

はじめまして、shokoと申します。
大阪出身で30歳になってから転勤命令で東京に出てきて、恋活アプリで知り合った旦那とスピード結婚、そのまま出産。
それまで仕事・遊び・恋愛に謳歌していた人生から、子ども中心の生活に切り替わる。

何かを得るということは何かを捨てるということを、これほども実感した経験はなかった。この大きなライフステージの変化を機に「母」としての私、「会社員」としての私、「女性」としての私、「いち人間」としての私を内省していきたい。

好奇心を抱きながら”幸せ”を再構築する

何を書こうかな。書きたいと思ったはずなのに、いざPCを叩き始めると、「これも違う」「あれも違う」と、なかなか筆?が進まない。誰か向けに書くのではなくこれは完全なる日記として書いていく(結果誰かのお役に立てたらいいなという気持ち)ので、何を書くのも自由!誰かの目線を気にせずに自分の思うまま書いていいよ!面白くなくてもいいんだよ!オチがなくてもいいんだよ!って思うと、逆に何を書いたらいいかわからないもんだ。

本業とは別でコラムを書く仕事とかしてるけど、本当は文章書くのめっちゃ苦手。正確に言うと、好きだったのにいつの間にか苦手になった。

12年前に一回だけ人生初の無職を経験したときに毎日mixiに日揮書いてた時期があったな。あぁ懐かしい。でもあの頃は自分の中で湧き出る感性とかがあったし、朝が来ただけで世界が美しいと思っていたし、独身無職で怖いもん無し。スーパーマリオのスター状態。人目を気にせずに書けたけど、今の私はどうだ?

「こう書いたら誰かにこう思われるかな」「こう書いたら面白くない人間だと思われるかな」「自分の意見を言うと知らない間に誰かを傷つけてしまうかもしれない」「自分の意見はどうでもいいことしか言えないから、書いても仕方ない」「誰の気づきにも慣れないのであれば、何も言わないことと一緒だから言わないでおこう」と、最強ネガティブモードに入ってしまって、他の人が意見を言ってくれたら「あ、それ私も思ってた。同じ気持ちの人もいたんだ」とか思いながらホッとしたり。すごくすごく臆病になっている自分に、嫌気がさしてきた。本当は私って、もっと色んなことを言えた人だったのに、いつからこんな風に人目を気にして怖がるようになったのかな。

世界が美しいと思っていた頃は、世界のことなんて今より何も知らなくて、自分と少し周りの家族と友達が私の”世界”だった。世界を知れば知るほど美しくないこともあるし、もっと美しいものもある。何もなくても幸せなのに、知れば知るほど幸せを感じれないことも出てくる。情報量が増えれば増えるほど、選択肢が増えれば増えるほど、幸せから遠ざかってしまう感覚に陥っている。なのに、世界が美しいと信じて羽ばたこうとする、どんな景色が見れるのか知りたい、そんな好奇心からくる欲求を抑えられないのだ。

結婚してから2年間で、大きく人格が変わった

結婚をしたのは2年半前。恋活アプリで知り合った旦那さんと、付き合って1か月で婚約してすぐに入籍。30過ぎの婚活女性が夢見るスピード婚だった。今となっては、仲良し夫婦で、お互いを尊敬しあって支え合って生活していますが、結婚してから2年間は地獄のような日が1か月に一回訪れていた。

私たち夫婦はなかなか産後クライシスが激しかった。仕事に復帰してからは、子どものお迎えをどっちがするか問題や、私の月1回ほどある夜の会食をどう対応するかについて口論になることが多く、非常に苦しい日々が続く。旦那さんからかけられる言葉や、仕事での自分の求められる成果のハードルが大きく変化していたことに追いつけない自分、自分自身も子どもと向き合う日々を経て、自分自身の人格が大きく変化したように思う。そんな産後の経験談も詳細を記しながら整理して内省し、行動を次に繋げる原動力にしていこうと思っている。

人のせいにしがちな私と向き合う

自慢に出来ないことを自慢すると、私は人のせいにするのが大得意だ。嫌になるほど、自分のことを守ろうとする。ほんと、性格が悪いなぁ と、自分自身に言いながら過ごしている。これが、私の自己肯定感を育てられない要因なんだと思う。たとえば、お皿を落としたら「こんなすべすべしてるからだ!」とか心の中でお皿のせいにしてしまう自分がいる。でも、何かのせいにしたばかりいても自分が成長できないよ。と今までの社会人生活の中でみっちり教わっているので、口に出すときは「ちゃんとしっかり持ってなかった私が悪かったんだな。ごめんよ、お皿。」と発する。でも、本音はそう思ってないから、すごく自己嫌悪に陥る。すごく自分の性格が嫌いなのに、自分を守ろうとする自己防衛本能がバッと出てしまい、なかなか治らない。口に出すときは変換できるようにクセづいたけど、長年続けてもやっぱりプライベートになるとやっぱり素の自分が出てしまう。この性格とうまく付き合っていくにはどうしたらいいのか。子供にこの性格(考え方)が電波しないかどうかが心配でならない。私の周りには、昔から心優しくて相手のことを思いやる気持ちをもった優しい友人たちばかりがいるけれど、彼らのような素敵な人に育ってもらうには、どうしたらいいのか。この辺りも私の根本的な弱さになるので、noteを書いていくことで向き合っていきたいと思う。さぁ、これからが始まりだ。これは、私の始まりの朝なんだ。

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