肩書きとのお付き合い

" 肩書き" っていうものに良い悪いがあるのかわからない。でも、知らず知らずのうちに肩書きという概念を振り払おうという意識が、逆に自分を敏感にしてしまっているような気がした。そこで、私は肩書きをどう捉えていて、どう付き合いたいかを考えてみた、というお話です。

・肩書きの威力
・肩書きはよいの?わるいの?
・結論どう肩書きとお付き合いするか

肩書きの威力

まず、私の肩書きに対するイメージは、その言葉からある人の特徴を連想させるもの。ここはAIといったコンピュータとの大きな違いだと思う。コンピュータは言葉を構成する文字列を数値化して処理する一方で、人は感覚的に文字列が表す意味を区別する。つまり、同じ文字列の言葉でも、言葉の受け手によって異なる解釈がうまれる

肩書きというのは実際, 特定の誰かを表したものではない。その肩書きをもつ個人個人を平均化したようなものであったり、架空の幻想であったりする。

初対面の自己紹介で肩書きを聞かれ, その答えに対して評価をもらった時、私はすごく自分ではない誰かについて話している気分になる。
たとえば、初めて会う人たちとの挨拶で、

A「はじめまして、〇〇です。僕は〜〜大学で経済学を勉強してます。**さんはどこ大なんですか〜?」
B「△△大学です。」
A「うわあ、△△大学とかめちゃくちゃ頭いいんすね。何学部なんですか?」
B「工学部の航空宇宙工学科に所属しています。」
A「リケジョなんですか!見た感じ文系の方かと思いました。いやあ、宇宙とか理系って、ぼくら文系には程遠いことに聞こえますねえ」

といった流れの会話で何度自分が消えそうになるのを感じたことだろう。

この会話の中で、少なくとも〇〇さんは
・△△大学だから頭がいい
・リケジョは文系の人とは違う身なりをしている
・理系は文系にわからない難しいことを扱う
といった仮定をおいて私を評価し、ある程度のペルソナを形づくっているのだろう。

頭がいいというのは定量的なものから定性的なものまで様々な軸で議論できる言葉だけど、大学からと結びつくのはテストの点ぐらいだろうか。リケジョは文系女子と違って、おしゃれに興味ないと思われているかな。理系文系の垣根はもやもやでしかないけど、その人にとっては何か明確な境界線があるのかな。いろんな思いが頭を巡り巡る。

この例で、肩書きは良くないと言いたいわけではない。ここで違和感を感じている私も、日々無意識のうちにある人の肩書きから何かを連想する。
ただ、ある人を知るための要素は、肩書き1つで表せるほど単純なものではないと言いたい。

だって私は
・テストが本当に苦手で、受験時の東大模試ではD判定連発だった
・理系に所属はしているけど、数式はみるのも苦手だし、解いている時の顔はおそらく笑顔がない
・おしゃれは得意でないけど、自分を美しく魅せる努力をする友達をみて素敵だな、と思う
・理系文系など関係なく、専門で学んでいる分野以外のことはお互いに知らなくて当然だし、だからこそいろんな分野の友達との意見交換を楽しいと思う

同じ肩書きを持つ人はたくさんいるけれど、一人一人は全く違う背景をもっている。それなのに、肩書き1つで、人の第一印象はできあがってしまう。

△△大学の誰かではあるけど、私ではない。

これは私に限ったことではなく、日常のいろんな場面で起こっている。
これこそ肩書きのもつ威力だと思う。

肩書きはよいの?わるいの?

多くの人が似たようなイメージを連想する肩書きをもつのは、総じて良いとも悪いともいえない、と思う。良いとか悪いとかいうのは個人の主観、つまり感じるところでしかないから

肩書きによって自分を表す側の意図と聞く人のイメージが一致するかどうか

が肩書きによるコミュニケーションの明暗をわけるのかもしれない。

大学でエンジニアリングとは関係の薄い専門を専攻していた人がIT企業のエンジニア職で働きたいと思ったとき、アルバイトでプログラマーをしていたという肩書きによって面接官に好印象を与えられるかもしれない。この場合、伝えたい自分像と面接官が連想するイメージ像が一致しているから両者にとって違和感のないコミュニケーションが成立する。

一方で、先ほどの自己紹介の例では、私の特徴として感じている自分と、相手が私の肩書きによって連想する自分に大きな隔たりがあることが違和感の原因なんだと思う。単なる考え方の違いであり、自分の考えと相手の考えとどちらが正しいわけでも間違っているわけでもない。ただ、ある肩書きという言葉によって連想されるものが、会話する者同士の間で共通なものかそうでないかを意識する必要はあると思う。両者がずれていた場合、それはまだ伝えるべきことが足りていないサインだと思う。違和感があるのは悪いことじゃない。それを解消できるぐらい自分を特定する要素を増やすきっかけになる。

結論、どう肩書きとお付き合いするか

今までごちゃごちゃ考えたことを書いてみたけれど、肩書きは自分にとって良い方向に繋がることもそうでない方向に繋がることもある、というのが持論です。

良い方向に繋げるために、私が目指す肩書きとの付き合い方を考えてみました。

どこかの誰か。といった曖昧さが残らないぐらい、複数の肩書きの掛け合わせで個人としての私を表現する。

1つの肩書きで表現できる自分はほんのー側面でしかない、という考えからきています。例えば私のおばあちゃんは、専業主婦であり、私の母の母であり、私のおばあちゃんであり、私のおじいちゃんの夫、といったいろんな肩書きをもっています。

どれもおばあちゃんだけど、どれか1つかけてもおばあちゃんでない。

違和感を感じるときは、きっと私を表現する別の肩書きを伝え切れていない時。もしくは自分自身もまだその側面を知らない時。

伝えたい自分を表現する肩書きをこれからも増やすことで、いつか誰に対しても心地よい自己紹介ができるようになりたい。

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