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世界からいちばん近いキッズラクロススクールを立ち上げた話

小中学生向けのラクロススクール、佐倉ラクロスクラブ ビーグルズを立ち上げ、ちょうど1年。
その立ち上げ経緯については改めて書くとして、「個性全開に人生を切り開いていける人材を育成する」をスクールコンセプトに掲げ、その1つの取り組みとして「世界が身近なラクロスクラブ」を少しずつだが実現できたので、そこについて書いていきたい。

2024年3月最後の練習。桜のシーズンでもあり、海外からのゲストも多く練習に参加してくれた

チーム指導コンセプトを決めるまで

始まりは参加者1人から

1年前、最初の練習は1人のメンバーからだった。「ジョニーが面白いこと始めるなと思って」と、個人的な期待値だけで来てくれた。市内のメインエリアではない小学校体育館が会場。平日夜。ラクロスの知名度もそんなにない。プラスには程遠いところからのスタート。

圧倒的なポジティブ要素

ただ、圧倒的なポジティブ要素があった。それは、コーチ陣含めた運営体制。
ラクロスのオモシロさを伝えさせたら日本、いや、世界屈指の開さんがコーチとして入ってくれ(東京の人だと思っていたけれど、声かけてみたら意外と近いところに住んでいた!)、ラクロス好きをたくさん世に放出している長岡良江さんも名を連ねてくれた(しかも佐倉に少なくないご縁があった!)。そして、言い出しっぺ、常磐植物化学研究所の立崎社長は、圧倒的な熱意と、自治体との交渉など、全面的にフォローをしてくださった(少なからず金銭面でのフォローもいただいた)。ここに、0→1を作ることに慣れている私の4人でスタート。

熱意ある人+スキルがある人+動ける人が揃った。こんな感じ。

1年を経て思うのは、ひとりだったらたどり着けなかった世界に来られた。それぞれの発想やスキルやできることで、面白い化学反応が生まれるチームになったのだ。

ラクロスと国際交流を実現しよう

ラクロスという共通項はありながら、今までの背景は違う運営メンバー。顔や名前は20年くらい知っているけれど、仕事をするのは初。どういう軸でチームを進めるか。そこの擦り合わせに一番時間をかけ、同意形成をしていった。見ている世界観さえ揃えば、あと自由に化学反応が進むのを面白がるだけ。

全員が同意したことは、ラクロスの競技や世界観としての良さは、「自分で考えること」だという点。自立心という言葉で表す人もいれば、ベンチャースピリッツと表現する人もいるし、ゲームメイカーという言葉も出てきた。細かいニュアンスはもちろん違うのだが、このクラブで作りたい人物像は、「ラクロスを楽しみ、自分で自分の船を漕げる人」に固まった。
もちろんそれは、競技に関してだけではなく、その子自身の人生についても。

そうした中で、自分たち自身も多くの恩恵を受けていた、「ラクロスを通じて海外とつながる」こと。それもこのクラブではどんどんやっていこう。そんなことも決まった。

ちなみに、運営メンバー4人とも世界に触れている。
立崎社長は、2006年に自身が大学院留学していた名門North Carolina Univ.ラクロスチームを日本に召喚し、国際親善試合を企画した張本人。
開さん、良江さんは代表活動で、世界と戦っており、私は、米 St.Vincent Collegeにラクロス留学している。
そんな4人なので、世界と触れる良さも実感しており、ラクロスをしていたら年に何度か言わされる「 Lacrosse makes friends」という言葉の本質的な意味も理解していた。
世界に触れ、異なる文化に触れること、そして仲間を作ることは、他者理解や寛容さはもちろん、回り回って日本や、自分自身の理解にもつながる。そんなところだ。

蛇足ながら、私はアメリカに留学している際、ラクロスチームに入っていたので、同じ留学生の中でも、圧倒的に友達が多かった。それはもちろん性格的な部分もあると思うが、練習や遠征で、ずっと一緒にいて、本気で戦う中で、仲間になる経験だった。

今みたいにGoogle 翻訳なんかない時代、授業で発表する私のプレゼンのため、夜遅くまで一語一句、発音練習に付き合ってくれたのは身長190cmのチームメイトJamieだったし、アジア人に偏見の目を向けてくる学生に本気で怒ってくれたのは、同じポディションのLauraだった。DanielleがダビングしてくれたQueenのCDで曲を覚えたし、当時ティーンで少しとんがっていたJennaは10年後日本文化に感銘を受けたと来日してくれた(槍ヶ岳に登った翌日に富士山に登っていたので、正直日本文化の何に触れたかったのかは謎であるが)。彼女たちとは今でも仲間だ。

佐倉と言う土地の可能性

また、チームのある佐倉という土地は、「世界からいちばん近いサムライのまち」を謳っている。江戸時代から歴史ある城下町は、世界の窓、成田空港から20分ほどなのだ。

キッズラクロスの試合がたくさん行われている都内に出るには、ちょっとハードルが高い。それだったら佐倉に呼べばいい!ちょっと古いが、「あまちゃん」に近い考え方。
世界のラクロッサーが成田空港に来たついでに寄ってくれる場所。そんな場にもなる可能性を含んでいるんじゃないか。そんな期待をこめてスタートした。

決定した指導コンセプトは

ちなみに、最終的に決まったチーム規約の中の指導方針は以下の通りだ

本クラブは、ラクロスの個人戦術・ボールコントロール技術の向上をテーマとして、各年代・レベルに合わせて指導をする。また、子ども達に簡単に「答え」を与える指導ではなく、選択肢を与えて、「自分」で考えて「行動」し、「シッパイ」を体験して学ぶことを大事にする。
また、課外活動として、国際親善や、山遊び、ビジネススクールなどに派生する。

佐倉ラクロスクラブ ビーグルズ チーム規約 第3条〔指導方針〕)

個性全開に人生を切り開いていける人材を育成する」ことが本目的。その手段として、ラクロスも、国際交流もその他の活動も使っていこう。そんなチーム方針に決定した。

この1年の成果と今後のチャレンジ

ラクロスのスキル的上達度

選手たちは、この1年でとても上手くなった。元々の練習だけでももちろん上達していたのだが、冬以降、何度かの交流試合を挟むごとに、ぐんっぐんっと成長する音が聞こえるようだった。
目の前の相手から、上手さを吸収する。そのまっすぐな目と、その交流戦が終わった後の練習の集中力。これがすごかった。
全てを指示しない指導方法だからこそ、彼ら自身で感じたことを練習でチャレンジする。そして、チャレンジを厭わない空気が、このチームのチカラだ。

加えて、彼らはラクロスが好きである。これは、開コーチのすごい技なのだが、ラクロス楽しむツボを心得ている。できるようになることを楽しむ。それは、開コーチ自身がいちばんラクロスを楽しんでいるからかもしれない。何をさせれば上手くなるかはもちろん考えているのだが、それ以上に、「今日これ出来た」を楽しんでいるのが、子どもたちに伝わっている。

この指導なので、メンバーたちは、成功しても失敗しても、オトナの顔色を見ない。オトナの判断軸でプレーさせてない点は、このチームで絶対に達成したかったことなので、今これを書いていて、クリアしていることをうれしく思っている。

ラクロスx国際交流

この1年、130人を超える海外からのゲストが佐倉ラクロス ビーグルズに来てくれた。夏には、日本にアメリカから一時帰国している子が3週に渡り練習参加してくれ、現地のラクロスを見せてくれた。2月には上海キッズチームが大所帯で100名、香港ユースチームが20名、それぞれ来てくれ、3月の桜のシーズンは、練習参加者の半分は海外からのゲストのこともあった(しかし今年は開花が遅れ見られなかったのであるが)。

交流の様子。言葉は通じないが、仲間になっていく

子どもたちは、ラクロスしながら、異文化に触れていく。自己紹介も英語でするし、相手の名前も少しずつ覚える。同じチームになれば、名前を呼び合い仲間になるし、対戦すれば、相手の巧さに刺激を受ける。細かいことを言えば、微妙なルール認識の違いで、上手くなる技術やファールが違ったりするので、その違いも感じているだろう。その「いつもと違う」違和感も含めて、世界に触れる経験だと思っている。「常識」が揺さぶられる経験。
悔しいながら、小馬鹿にしていた「Lacrosse makes friends」の言葉の偉大さを実感している。

ちなみに、夏にアメリカから参加してくれた子は、この春も来てくれた。今度はお兄ちゃんを連れて。アメリカのスポーツはシーズン制なので、久しぶりのラクロスだと話しながら、休憩中もずっと壁当てしてた。ラクロスが好きなのだ。

サムライの町のラクロッサーとして

また、「世界からいちばん近いサムライのまち」のラクロスチームとしては、サムライ軸でも活動できている。我らビーグルズは、佐倉市公式イベントである佐倉時代まつりに協力し、佐倉藩開国行列の佐倉藩士役としてクロスを刀に持ち替え、2時間近く市内を練り歩いた。

また、海外チーム来日の際には、佐倉藩武家文化保存会、全面協力の元、甲冑体験を来日チームに提供できた。ありがたい環境である。

佐倉時代まつりの様子と、甲冑体験してくれた上海チームのコーチ

ラクロス好きを育てることは

ラクロス好きを育てることは、面白がるチカラを育成することだと思う。このスキルは、他の競技や、学業、そして、人生にも生きる。
ラクロスをずっと続けなくても、全然いい。なぜなら、私たちのゴールは、「個性全開に人生を切り開いていける人材を育成する」ことだから。

そして、補足だが、今、伝えた内容は、ラクロス関係者なら「うちのチームもだよ」と思う内容が多いと思う。それぐらい、面白がるチカラと、国際交流は、日本のラクロス界には根付いている。
もしラクロス関係者以外でこれを読み、興味を持ってくれたら、ぜひラクロスチームに足を運んでみてほしい。特に、2028年のオリンピック正式種目に決定したこともあり、キッズラクロスは急速に競技人口が増えて、チームもたくさんできているので、近くのチームに足を運んでみてほしい。

これから

最後の写真は、「SAKURAスポーツフィールド」。ラクロスクラブの言い出しっぺ立崎社長が、私費を投じて作ってくれたのだ。もちろんラクロスのためだけではなく、他のスポーツや、従業員さんが使うことも目的としているのだが、こんな私費を投じる人は、渋沢栄一以来ではなかろうか(知らんけど)。そうした人がいるご縁にも恵まれ、佐倉ラクロスクラブビーグルズ、今、キテおります。

興味がある方は練習に遊びに来てほしい。

SAKURAスポーツフィールドで、香港ユース代表チームとの合同練習



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