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結局、「海外で働きたい」というのは何だったか

私は父の仕事にあわせ、幼少期をヨーロッパ、アジア複数ヶ国で過ごしました。社会人になるまで海外に出たことがなく、海外に憧れていた父は私によく言いました。

「こんな機会に恵まれた日本人はそうそういないんだから、将来はグローバルリーダーになりなさい」

グローバルリーダーになること。
その目標を捨てることができなくて、就職先は海外転勤の可能性がある会社を選びました。

そんな私にとって、海外で働く機会を得ることは夢であり、悲願でした。


でも、タイに異動してきて、ふと、週末一人でカフェで一息ついていたとき思ってしまいました。

「グローバルリーダーってなんだろう?」

そもそも「現代のグローバルリーダーを挙げよ」と言われても誰を挙げたら良いかわからない。

海外に来たって、同僚が日本人ではなくなったって、日々の仕事の内容は日本での仕事の延長線上にあって、何かが劇的に変わるわけではない。そんなことは海外に来る前から知っていた気もするし、改めて当たり前の事実に気づけてよかった気もする。

日本にいるときに「グローバルリーダー」のあり方を色々妄想していた私は、いざ思い描いていた「グローバル」な環境に身をおいてそれが日常になって、やっと「グローバルリーダーという夢を手放そう」という決心がつきました。(だって、何を目指しているか分からないから)


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一方で、十数年ぶりの海外生活に、私はほっとしています。タイでの生活は初めてなので、躓くことはたくさんあるけど、「外国人として異国に住んでいる自分」という立ち居地が、懐かしく、心地よく、楽しい。

人格形成の大事な期間を海外の、それも複数ヵ国で過ごした私にとって、「期間限定で外国人として異国に住んでいる」という状態こそ落ち着くということ。
「外国人から見て相対的に日本人らしい」という程度の軽やかな日本人意識がちょうど良いということ。
私は「世界がふるさと」だと見なしているということ。

そんなことに気づいて振り返ると、「海外で働きたい」という押さえきれなかった欲求は、父の期待に応えたいというのももちろんあったけど、単に「そろそろ里帰りしたい」というニーズだったようにも思えてきました。

そう考えるとなんだか等身大に思えて、すごくすっきりして、カフェの一角で涙が頬を伝いました。


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帰国子女として育った私はアイデンティティ基盤が脆弱です。「ふるさとはどこ?」という質問は苦手です。家族は日本人だし、今となっては最も長い年月を日本で暮らしているけど、幼少期に日本に帰国したときに直面した逆カルチャーショックと、そんな私への同級生の戸惑いから、私の「日本人としてのアイデンティティ基盤」が崩れ落ちました。

「日本人になりきれない」「胸を張って言えるふるさとがない」痛みを抱える私にとって、「そっか私にとってふるさとは世界なんだ」と認識できたことは大きな納得感と安心感を与えてくれました。そんな、涙だったと思う。

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