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夢に重さは無いんだけれど、

この9月から英会話をはじめました。
Bizmatesというところを使っているのですが、1回25分、ほぼ1日中予約が可能というお手軽さ。「ビジネスで生きる英語を学ぶ」ことがコンセプトで、教材や扱うテーマもビジネス寄り(今日は出張について、だった)かつ、講師も過去にビジネス経験があって実際に仕事で英語を使ったことがある方々を厳選していることが特徴です。

5月に転職をして、その時の選社軸の一つにちゃんと英語を使える様になりたい、英語を身近に感じられる環境に行ってみたい、というものがありました。ちゃんとその望みは叶えることができまして、例えば来週新しく入社される方は北欧の出身で日本語が話せない!という状況。チームの中に、駐在経験もあって英語が話せるメンバーがいるので致命的では無いものの、英語ができないことが明確な機会損失を生んでいる現状に直面していると、日々の意識も変わってくることを痛感しています。環境が変わることのインパクトはやはりとても大きい。

そんなこんなで英会話を始めたものの、とはいえ勿論いきなり難しい会話ができるはずもなく。ここ数日学んでいるのは簡単な自己紹介、それすら時制やら、三単現のsやら、複数形のsやら、toだのinだのatだの、ビシバシ指導を頂戴しながらも楽しくレッスンが進んでいます。

そう、楽しいんですよ。
始める前の心境としては「しんどいけれど頑張るか‥」という重苦しい感じだったけれど、先生はとても明るく色々教えてくれるし、できることが増えるのは間違いなく楽しい。指導の量が多すぎて悲しい気持ちになったり、「うわーこういうときなんて言えば良いんだ全くわからん」という葛藤もあるけれど、それを差し引いても楽しい。そもそも色々な人とカジュアルに話をすることは(少なくとも私は)それ自身が苦であるわけでは無いはずだよな、ということを考えています。

今やっている英会話のレベル感、本当に小学校低学年くらいの幼少期に通わせてもらっていた、英語塾での日々を思い出すような内容なんですよね。まあ多少ビジネス表現が入っているから若干発展的かもしれないけれど、そんなに難しいことはやっていなくて、「ああ、8歳とかの自分と今同じことしているのはなんだか不思議な感覚だな‥」という気持ちに包まれます。(せっかく学ばせてもらったのに、錆びつかせてしまってすまんなぁ両親よ)

錆びつかせてしまったのは若干私の責任ではあるものの、そもそも大人になったからといって、何でもかんでもいきなりすごいことができると思ったら大間違いなんですよね。初めてのことをやろうとすればそりゃ失敗もするし、ものによっては時間もかかる。そんなのは当たり前のハズなのに、「失敗したくない」「恥をかきたくない」みたいな余計な気持ちが、あとは周りの「今更やるの?」「本当にできるの?」みたいなノイズが、純粋にやってみたいという気持ちの足を引っ張っているのは良くないなと思うわけです。
冒頭の一節は、大好きなポルノさんの曲からの引用。

夢に重さは無いんだけれど 言い訳ばかりなすりつけて
厄介なものを背負っている気になってる
ポルノグラフィティ/ギフト

そうはいっても私自身、無意識に何故かハードルを上げてしまっているものはたくさん思い当たります。世の中には本当に楽しいコンテンツや、「やったほうが良さそうなもの」で溢れていて、本当にやるべきことをどんどんと先送りにしてしまっていたり、勝手に「別にやらなくてよいのにできないこと」の積み重ねでしんどい気持ちになってしまったりもする。

僕らはもっと、夢やら希望やらを持つことに自由で良いはずなんですよね。
とりあえずやってみたいことがあるならやったら良いし、別に誰に頼まれるでもなくしんどいと思いながらやっていることなら辞めたって良いと思うんです。
「自分の一番の敵は自分」じゃないけれど、最近なんだか張り切り過ぎていたのか大変に思うことが多かったので、ガス抜きとしての投稿でした。

(週1note更新、別にできなくたって死にはしないし‥まあ誰が読んでるかもわからないゆるい更新なんだから気負わず楽しくこっちもやろうよ、ね?)

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