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「OFUSE Experiment」と「0リセット勧進「と「本づくり」の関係

現代社会においてお布施で生活してみることにした。時折仏典を参照することはあるけれど、基本的なスタンスはそれを遵守するのではなく、「お布施」という言葉を掲げて、日々自分なりに実験をして生きるということを念頭に置いている。特に、法事や弔事の場以外の場での「お布施」という営みを探求していくことをOFUSE Experimentと呼んで、日々遊んでいる。

最近、 0リセット勧進という言葉をよく出し始めたのだけど、これはOFUSE Experimentの流れに属している。OFUSE Experimentは大きな河で、その中の流れの一つに 0リセット勧進という名前をつけているだけだ。 0リセット勧進は時々右に左に揺れながら、大きな河の幅を広がることがあるかもしれない。OFUSE Experimentの流れが終わりを迎える時、勧進も終わっているが、勧進が終わったからといって大きな河は終わっているかはわからない。そういう関係で、二つの事象を捉えている。

 0リセット勧進は、本作り、つまり、作品づくりをするための資金調達および手放しという色合いを持っている。勧進は本のコンテンツの一部にもなるので、勧進がうまくいこうといくまいと、実験結果として、本にはその内実を書きたい。そういう意味では、勧進をし続けている間は本も完成しない。本が完成しないという事自体も本の内容になっていくかもしれない。余すところなく素材を生かして料理を作るように、本を書くということに生かしていこうと思う。

大事にしたいのは、日々豊かに生きるということだ。お布施を受け取ったり、お布施することは、日々生きるという流れがほんの少し名付けられただけに過ぎない。 0リセット勧進は本をお渡しするという目標からすると、それは目標に到達する手段なのだけど、日常をすべて手段だと思うと、あんまり豊かな気持ちにならない。あくまで本を書くということを念頭に置きながら、手段でありながら、楽の探求を行っていく。その場その場でありありと起こる表現活動だ。

もはや本を作っても、作らなくても、目の前のやり取りを豊かに楽しめるようになっていけば、まずOK。本をお渡ししていくということは 2の次のことであって、本をお渡ししないといけないというわけではない。

そんなことを言いながらも、本をお渡しする時の光景が見えるので、その光景を現実に引き寄せたくて、文章は書き続けるだろう。本はつくる。生まれてくる。

OFUSE Experimentも 0リセット勧進も本作りも楽しく毎日を過ごしていくためのスパイスのようなものだ。

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