おめでとう(寺発、東京国立博物館、寺泊)
今日はやや遅くに起床しました。起きてからお茶を飲んで、身体を調えて、外へ。上野駅まで移動しました。パートナーの紗都子さん、先日の投稿に登場したTさんと展示を見に行ってお茶をしましょうという流れになっていました。
外はとにかく暑い。溶け切ってしまうかと思いました。
見に行った展示は内藤礼さんの『内藤礼 生まれておいで 生きておいで』でした。
美術手帖によると、
とのことで、縄文の景色と香りを想像するいい時間でした。内藤礼さんらしいテグスを使った演出や人が歩く微風で揺れる素材たちなど、「繊細」な内藤礼さんの世界がそこにあって、本当に時間の流れがゆっくりになったように感じました。空間に入った時に微細に起こってくる感覚。広い空間に小さく息づく構成物たちが醸し出す空気感が静かに生きている感じが伝わってくるのが不思議です。
内藤礼さんの展示は以前にも見たことがあり、見たことがあるのは豊島美術館の作品「母型」と水戸芸術館での展覧会「内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える」でした。
正直なところ、今回の展覧会よりも、過去見た展示の方が好きでした。今回のものは、なんだか身体的にはピンとこない感じがしました。そういう違和感を抱いたという収穫があった展示鑑賞の時間となりました。
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お茶をした後、神奈川の方へ移動しました。泊まっている場所の近くのお店へ行き、泊まらせてもらっているご家族に合流しました。なんと今日は息子さんのお誕生日。新しいヘアスタイルになっていい感じに調っておられました。品川駅で帰りに買ったケーキを渡して、誕生日会でご飯をお裾分け頂きました。
計らずも、「祝福」の日。おめでとうという言葉をかけることができる豊かさを感じました。本当はいつもいつも、その言葉を伝えることができるし、生きていること自体が祝福なのかもしれない。内藤礼さんの展示からのそよ風を展示空間の外で受け取ったのでした。見え方さえ変われば、祝福はすでにここにあるのかもしれませんね。
実際、日々の生活の中の実感として、祝福の感覚が生じることもあります。今日生きていることも祝福です。ただ、また今の時点では、肉体的な分解の日は迎えたことがなく、それを祝福として受け取ることができるか否かはわかりません。
あれもこれも、わからないことばかりです。
少なくとも、朝起きて、お茶を飲んでヨガをして、電車に乗って展示を見て、布作品の続きを縫って、紗都子さんとTさんとかけがえのない再会をしてお話をして、息子さんにおめでとうと伝えることができた今日は、おめでたい日でした。
皆さんにも一言、お礼を申し上げます。
今日も一日、おめでとうございました。
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