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【制作と思索】 作品への責任

ここ最近、作品づくりに意識的に時間を割こうと思い、少しずつ生活の中でその比重を高めていっています。手がけている作品は糸を素材としたもので、それらの糸はこれまで日々の生活の中で頂いた布地を分解することで生じます。

このように一枚の布を無数の糸に分解しています。

唐突ですが、「責任」について、よく考えるようになりました。今の時点では、私のSNSの投稿を見ても「何をやっているのか意味がわからない」という感想を持つ人がほとんどなのではないかと思っています。私も今の段階から何か意味あるものとして受け取ってもらえると思っていませんし、当分の間はこの状態が続きます。

しかし、私としては作品(モノ)を作るインスピレーションが訪れてしまい、その作品がある未来の一場面を"見てしまった"ので、周りの人たちにどう言われようと、反応がなかろうと、私にとっては「人生において重要なことが始まった」という身体感覚が生じています。

そして、未来の一場面を見てしまい、身体感覚が生じるということに対して、「責任」を感じています。

これは「責める / 責められる」という意味ではなく、「未来の一場面に対して、自ら応答し続けよ」という感覚です。「未来の一場面に近似することが実際に起こるように手足を動かして制作をしていこう」ということを「責任」という言葉で表現しています。

己の役割を固定化せずになんとかする

作品(モノ)を形にしていくにあたり、今の私のあり方を刷新していかないといけないと感じています。つまり、いろんな役割を担っていこうと思う次第です。

たとえば、このような役割です。

作品をつくる
作品の制作環境を調え続ける
作品制作を続けるためにお金を工面し続ける
他の人々に協力してもらう
日々記録する
日々発信する
展示できる場所を探す
展示側の人とのやり取りを行う
展示する

などなど。

「私はこういう人間で、この役割を行う」という切り分けを行わず、ひたすらに自らの責任範囲を限定せずに「なんとかなる」ように動いていこうと思います。



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