誰にも伝わらない言葉以前のうごめきをただ、しっかりと抱きしめて
いつからか言葉がスッと出てこなくてなった。特にSNSやNoteに投稿する文章が出てこない。書いてみようかな?と思うたびに、何かに制約を受けるような感覚だけが生じてきて、出すのを引っ込めてしまう。それを数幾度となく経験している。
ふと今日、何か意味のある文章を書かないといけないということに足を取られていることに気づいた。面白い視点を文字にしたい、とか。そういうの。
そんなに力まずにいいのにね。話し言葉はスルスル出てくるのになぁ。
と言いながらも、この文章はつらつらと出てきていて、言葉がスッと出てこないというボヤキはたくさん書けるらしい。この言葉たちを役に立たせようという意識をほぐしてやると、書きやすい。
生まれてくる。
言葉が出てこなってきた一方で、執筆ではなく創作の流れは豊かになってきた。
ドローイングはよく出てくる。
おお、なんだこの形〜という驚きと共に、受け取る。なんか出てくるから描いてる。グッとくるものもあれば、なんだかなーというものも生まれる。
それが書くことよりも楽。今のところは。
そういうふうに言葉も出たがっているのだなぁ、今。
詩なのか、詩でないのか、そういう区分けも気にせず、出てくるものを「ほぅ」と眺めてみる。
大事なのは、むしろ実感の方。日々の生活の中で生きている実感はしっかりと生まれている。
創作の流れが生じていくにつれて、もしかすると実感を味わう時間が以前より増しているのかもしれない。
ゆっくり、ゆっくり実感が濾過されて、ほんの少しが表現になっていく。そのうちの言葉はほんの少しくらいでいいよ。
生まれてこない時には書かなくて良い。
そんな自分を楽にする言葉が出てきた今はそれなりに幸せだ。
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