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金銭換算することができる時間と命

「金銭換算」という言葉をよく使うようになった。私の生活には「何をやったからいくら」「何を売ったからいくら」というものがない。厳密にいうと、そういうものに乗らない時間を大事にしている。時間は命そのものであるから、一瞬一瞬の時間をかけがえのないものとして受け取っていくことは、同時に命そのものをかけがえのないものにしていくことだと思っている。

いつも、命にしろ、時間にしろ、かけがえのないものとして受け取りたい。それにもかかわらず、生活・創作していると、ついつい目の前の瞬間を味わうのではなく、どこか、別の何かに意識を奪われて、命や時間が空をつかむように通り過ぎていってしまう。だから、何度でも、何度でも、かけがえのない時間と命を学び直しながら、その精度を上げていきたい。

私の時間も命は稼ぐということで金銭換算することができる。しかし、それはあくまで"ほんの少しできる"というくらいのものだ。そもそも時間も命に経済的なモノサシをあてがっても、本来は測れるはずもない。少なくとも、私は測れるはずがないと思う。命には値がつかない。その前提があって、社会的な文脈の中で経済的モノサシが成り立つこともある、という認識くらいでちょうどいいと思う。

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