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仏教思想を茶道のアップデートに活かす実験を開始しました!

おはようございます。

ここ最近、お茶の文化に触れる時間が増えています。茶道家で、茶道の世界が豊かになるようなビジネスを作りたいと思いながら活動されている方との関わりがこの3週間ほどで多かったので自然とそうなりました。

昨日はその打ち合わせだったのですが、予想もしていなかったアイデアが生まれてきたりして、楽しい時間が過ごせました😄

私は、この時代、「文化」が重要なテーマになると思っていますが、その時に頭に浮かんでいるのは、室町時代の仏教思想とほかの領域の関わり合いです。

そのことについては、以前WEB仏教メディアの彼岸寺さんに寄稿した文章にも書きました。

そろそろつくることの常識を仏教でアップデートするタイミングなのだと思う(https://higan.net/now/2018/05/createwithbuddhisim/)から抜粋します。

そもそもですが、仏教は芸術の分野との相性は悪いわけではありません。「仏像・仏画」、「寺院建築」など、仏教が日本に伝来して以来、自らも変容しながら、その過程でさまざまな作品が生まれてきました。

特に私にとって印象深いのは室町時代〜江戸時代の仏教(特に禅宗)の文化への波及です。茶道、俳句、庭園、能など現代まで受け継がれてきた文化が仏教思想と相互作用を起こしながら発展していきました。

その際のキーポイントになったのは禅をマスターしている人たち(禅匠)です。

その相互作用がより促進された理由をあげるならば、
(1)禅匠自身が芸術家でもあった点や

(2)禅匠が外国文化を体感し、
    それを持ち帰ることができたポジション取りをしていた点

(3)それが可能だったのは彼らが当時の支配階級(武士階級/幕府)から
    庇護を受けることができた点

などがあります。

他にも、戦乱の世の中で常に「生きること/死ぬこと」が問われるような死生観が揺らぐような環境だったこともあり、死生観を考える際の触媒として仏教思想が機能していたのでしょう。

しかし、このような流れがあるにもかかわらず、最近の仏教思想と文化の関わりは室町時代の結びつきと比べると抜本的なものは少ないのかもしれません。

このように書いてから早2年。茶道家さんとの関わりが生まれたり、和菓子職人の友達との関わりが続いていたり、和と称されるものを扱う機会は増えてきています。

私の和との関わりは、つくる人 を起点にするものです。

人が閉塞感を打開し、新しい表現や新しい取り組みを成り立たせていくことに何よりも興味がありますし、特に大小含めスタートアップの時期をともにするのは何より楽しいことだと思っています。



「幸せにできる人は有限の時間の中で限られている」と思うことが増えてきました。

全員を幸せに、と高尚な想いを掲げるのはいいのですが、どうしても限りがあります。じゃあ、どの人たちに絞っていくか?ということを考えた際に、

私は、

「伝統領域で新しいことを起こしている人たち」
「このままの方法でいいのか葛藤している人たち」

に絞って、

その方々が活動しやすくなる機会作りを行なっていくことに決めました。

決めた方向性に呼応するように、そのような方々との関わりが増えてきていて、とっても嬉しいです。

とはいえ悩みなのが、
生きるためのお金を得ることと、未来に投資していくバランス。

うおー!!!金なくなった!!!死ぬーー!!!!

と頻繁になっているので、機会を創り出し、お金をリソース無きところから作り出していく能力を高めることに意識的に注力していこうと思います。



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