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ゼロイチでつくるの世界に、小利口な「見守ってます」は無用の長物かもしれない

プロット立てるのも、それを記事にするのも、ドツボにはまっているときはたいへん。。。というかそもそもクリエイティブには生みの苦しみがついて回る。

で……なんだろうな。たぶんこれは、どんなにささやかでもなにかをつくるをやったことある人とない人で深い溝がある世界だよな。「うまく形にならないなぁ」の時期には、変に優しく見守りますとかより、無責任に周りが期待値を伝えたり、後先考えず思いつきの「バカなこと」口走ったりするのって、ある種ドM的に必要だったりするんだよな。

たぶん、待ってるから自分のペースでつくってねとか優しいつもりで言ったり待ったりするのは、その人がガチのものづくりをしたことないからじゃないかと思う。理屈じゃない、ものづくりは葛藤の渦への体当たりなのだ。どんな形でも渦に混ざりに行くのは参加なのだ。ちょっとキモチが傷つくくらいでなにかがつかめるなら安いものだ。

だから私は、無言とか放置とか、関与度完全ゼロでなにかをやさしく見守っているつもり、というのがあまり好きじゃない。あくまでも、ゼロイチの世界に限ってなので、それ以外なら全然アリだけど。

なにをするか既知であり、粛々とこなせばよいよくなことに躓いているときは、あえて無言で見守るってのはアリだよ。その人のペースを尊重するとかも大事だ。

でも、未知のモノ、なんだかわからないものをひねり出すということは、そもそもぜんぜん質が違うんだよ。やりとげたかったら、自分も飛び込んで削られる以外の選択肢なんかない。

もしかしたらそれこそが、がむしゃらってやつなのかな。

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