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「自分らしく生きる」少しずつ始めます。

おはようございます!菖仁です。ずーーーっと思っていた事「自分らしく生きる」。しかしそれを強く思ったり、考えたりしすぎて自分でも良くわからなくなり・・・そして時は当たり前の曜日流れるわけで・・・そんな中やっぱり色々考えたりします。そこで僕がいつも思うことは「自分らしく生きたいなー」。しかしながら「自分らしく生きたい』と言っている本人が「何が自分らしい」のか?に戸惑い。そんな日が何十年も続きました。名古屋生まれ名古屋育ちだった僕が令和2年1月、49歳になる年に東京に拠点を移しました。30代後半までは地元名古屋を中心に活動していましたが、40代になると東京の案件をいただくようになりました。名古屋から東京に仕事に行く!スタイルでした。名古屋で活動し、東京に教えに行く!何となくそれがかっこいいかな〜という感じでした。しかしこの「名古屋発東京パフォーマンス」への活動の移行がそのまま「心の移行」へと僕を導いてくれたんだと思います。そして無謀とも言える「SHOJINアラフィフからの再覚醒」です。お気づきの方いらっしゃいますでしょうか?この文の冒頭で、僕は「菖仁」と自分のことを名乗っています。いつもはSHOJIN。この「自分らしく生きる」では自分のことを「菖仁」と記そうと思います。あまり深い意味はないです。時というのは人を成長させます。僕の中で流れた時間が教えてくれた「自分らしく生きる」色々綴っていきます。

しばらくは散文が続くと思いますが、ご了承ください。

僕は時折こんなことを思います、考えます。何故か人は競ったり、比べたり、優劣や勝ち負けにこだわったり・・・ その行為には「目的」がある場合もある。戦いのために自分を磨き・・・ 勝ち負けは結果であり、目的ではないと僕は思います。でも僕自身勝負の世界にいて、勝ち負けを求めていた!優劣を競っていた!つもりだった・・・そのおかげで得たものも多い。失ったものは得たものより多い。 「自分らしく生きる」事とはまず「自分」という存在だったり、意識だったり、心だったりをどう捉えるか?とかだったりするんだと。

■どうして他人と比べるんだろう

子供の頃よくある衝動です。あくまでも僕の話ですが、

僕「あれが欲しい!」
母「どうして?」
僕「あの子が持ってるから」
母「よその家とうちは違うの!我慢しなさい!」
僕「だって、みんなも持ってるよー」
母「・・・」
僕はおばあちゃんの元へ・・・(おねだりに・・・)

まあまあこの手のルーティーンはかなりこなして、色々GETした記憶は結構あります(笑)

自分は持ってないから、同じが良い!一緒が良い!こんな思いですよね!これって比べたからだと思うんです。子供ながらになんとなくだけど「自分が負けてる感?」それと、何故か勝手に自分で作り上げた「疎外感」

■なぜ競うのか?勝ち負けのこだわり

比べると同じように幼少期もだし、何なら今もあるかも!自分が勝手に作り上げた「勝ち負け」というか誰かと自分を比べた時に思ってしまう「勝ち負け」。基準なんかどこにもないのに、どうしてだろう?この思いは僕だけなのか?いや!そんな事ないと思うんですよね。しかしながらちゃんと「自分の幸せ感」は持ってて、それは果たせているのに、何故比べ、何故競い、何故勝ち負けを意識するんでしょう?でも、そういう行為は時に人を成長させることもあると思います。が、しかし・・・

■実は自分らしさを知っている

おそらく自覚はなくても、なんとなく、「自分らしさ」をみんな持っているんだと思うんです。
それを何かのきっかけではっきり自覚できる人もいれば、きっかけに出会えずなんとなく心のどこかにそれを意識だけはできている人、そんな感じなのかなーと。

どちらが幸せで、どちらかが不幸せではなく、自分が気持ち良い方へ自然に歩ける事がとても重要な気がします。

これには時に勇気が必要かもしれません。

こんなことをゆっくり!そして色々な人との出会いと関わりの中で感じ、それを綴っていこうと思います。

また次回!

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