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育児大変談

早いもので2019年も2月になった。東京の多くの自治体で、認可保育園の入園可否通知が送られてくる季節。幸いにして、我が家には合格の報せが舞い降りた。「え、NYに住んでるのに!?」そう思われる方もいらっしゃるだろう。ええ、そうです。海外在住でも保活はできるんです(その話もいずれ書くつもり。NY駐在妻界隈では”育休中だから“夫の赴任に帯同した、という女性は稀有でも何でもなく、こちらでも日本の保活話は一大トピックなのです)。その結果、運良く保育園入園が決まり、同時に日本への帰国と仕事への復帰を決めたのが、まさにここ数日の出来事。そして人生初ブログがスタートした。

前段が長くなってしまったが、今日は保育園のことを書こうと思ったわけじゃない。巷に溢れる”育児大変談”について書きたかったのだ。

私の子ども(J氏、一歳♂)は手がかからないタイプだ。よく眠り、よく食べ、機嫌がいい。初めて熱を出したのは一歳になる直前で、これまでの人生でまだ2度しかない。よく眠るのは生後すぐからそうで、J氏が寝ている間に一緒に眠れば寝不足になることはなかった。私は母乳があまり出なかったし、J氏もミルクを好んでものすごい量飲むので早い段階で母乳もやめてしまい、卒乳や断乳(ところでこの2つは定義上何かが違うの?それとも二種類の呼び名があるだけ??)の辛さも未経験だ。
夫も短いながら育児休暇を取得したが、基本的にはただ単純に子どもと一緒に居られる時間が長くて嬉しい、といった様子で、大変そうだった節はなかった。その話をしたら、『「育休を取った」というと必ず間違いなく相手は、育休中いかに大変だったか?という話を期待しているから、「何も大変じゃなかった」とは言い出せない』と言っていた。

そうなのだ。私も全く同じで、「いま生後●ヶ月で〜」という話を育児経験者にすると、必ず「それは大変ね〜」と言われ、返答に困った。世の中の育児ブログ的なものやSNSにUPされる友だちの育児ポストを読んでも、特に新生児の頃は、誰も彼もがいかに育児が大変なのか/だったか?を語っている。男性が育休取得した経験談に至っては、その大変さの内訳が詳細に綴られ、育休を取ったことによって、自分の育休中以外はその役割を一身で担っている妻の偉大さが心底身に沁みた、という話のオンパレードである。

これはなぜなのか。

現在のところ私の結論は、”育児が楽”話をするとマウンティングと取られがちだから、というもの。つまり、育児が楽=手がかからない=育て方がうまい、という自慢話に取られがちだということ。私は、子どもの、特に小さい子どもの振る舞いは、環境要因よりももって生まれた個性に寄るところが大きいと考えている。だから、仮に「うちの子は手がかからなくて〜」という話をしたりされたりしたとしても、育て方云々の話ではそもそもなく、子どもの個性を説明しているに過ぎないと思うのだが、どうもそう捉えられないらしい。したがって、”育児が楽”話は地下に埋められ、ネット上には苦労話が溢れる。

私もこの手の苦労話には苦しめられた。それなりに充実した会社員生活を送り、毎日勝手気ままに生きていた私からすると、巷に溢れる”育児大変談”は、「それでも夜寝顔を見てたらすべて吹っ飛んじゃう!」といったポジティブメッセージが添えられていたところで、子どもを持つ妨げにこそなれ、後押しするものには全くならなかった。これはいかがなものか。
子どもの個性が様々である以上、手がかからない子どもも一定数いるはずだ。その存在を見えなくし、世の中を苦労話で埋めつくすことは、少子化から少しでも脱却したい日本にとって良い傾向のわけがない。
そんなに手のかからない子どももいるよ!手がかかるか、かからないか、それはもちろん運だけど、でも子育てを闇雲に恐れないで!と、これから出産適齢期を迎える女性たちに私は言いたい。昔の私にも言ってあげたい。

この、たまたま”恵まれた”環境にいる私、の話をするとすべからくマウンティングと取られ非難される昨今の風潮は、もっとも育児トピックに限った話ではない。マウンティングになるのを避けたいが故、ポジティブな話は地下に潜り、大変談で覆い尽くされるのが今の世の中だ。それではあらゆる物事が好転していかない。
noteにはそういうマウンティング文化がないといいな、と祈りながら、最初のエントリーを締めたいと思います。

Hope to see you soon!

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