人の進化、終末へ向けて


月が出ています。中秋の名月と呼ばれる満月の日まで、後何日か。
ところで、覚えておくべきは、人間の認識はひどく狭い次元に止まっているということです。3次元の空間と、一方向に進む時間。この世界に押し込まれているのは、恐らく宇宙の創生から、力が一方向へ進まざるを得なかったからだと思います。人は、この力を運ぶ一つの形であり、個人というのもこのエネルギーを効率よく、無駄なく運ぶために生み出された方策に他ならないのだと考えます。全ては生まれた時から、或いは生まれる前は、一つであり、無であった、というのが直観です。人間の狭い認識能力を超えたところに本当の「世界」があり、そこは空間も時間も無限に、方向もなく、ただ在る、或いは混濁して何も「ない」世界なのだと。古来より、人が神と呼び、直観してきたものは、そうした宇宙の始原、それ以前に存在する、今も厳然と在る、我々が知覚し得ない、しかし直観で感じざるを得ない、無限の世界なのだと思います。
人は、やがて地球から姿を消すはずです。声高に言う人はあまりいませんが、これまでの地球上の生物の歴史を見ても、人類が永遠に繁栄することがあり得ないのは明らかです。その日は、明日来るかもしれないし、数百年先かもしれません。いずれにせよ、その危機に際し、救いとなる言葉、感情、信念を、持っていたいし、あなたにも持っていてほしい。恐れずに、慌てずに、信じるほかはない。全ては一つであって、同じ世界に人は還っていくのでしょう。平穏なのか、恐怖なのか、天国なのか、地獄なのか、そうした判断は全て現世的な、つまり狭い認識能力の及ぶ範囲の世界でのみ感じられるものであって、戻っていく先の世界は、その全てであり、またその全てと異なるのだと思います。
とは言え、人間は精神と自意識を得た動物です。生存本能を高めるために、個の意識を持ち、争い、憎み、愛し合い、助け合い、悦びを得る存在です。滅亡の日へ向けて、可能な限りその到来を遅くするような努力をするし、そのために人智を尽くすでしょう。一方で、自らその日を呼び寄せるような、愚かな争いも起こすでしょう。最後の瞬間まで、恐れ、いがみ合い、また愛し合うのだと思います。全てを受け入れて滅びゆくことができる人間など、恐らくいないのだと思います。
それでも、その瞬間を迎える前に、救いとなる思想、直観、信念はあるべきで、少しでも多くの人が、安寧の内に最後まで過ごせるよう、人は信仰や思索という行為を止めないし、止めるべきではないのでしょう。

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