漸近自由性、というより遠距離束縛

先日、近藤淳先生の訃報が流れた。物性物理では誰もが知っている近藤効果。固体中の自由電子と不純物原子との相互作用が低エネルギーで強くなるおかげで、ゼロ温度の近くで電気抵抗が大きくなるという現象のことだ。通常は温度が下がると原子の熱的振動が減るために電気抵抗が小さくなるが、それとは逆のことが起こるということで、長らく謎とされていた。問題を解決した近藤先生の業績がノーベル賞に至らなかったのは不思議という他ない。

近藤効果の計算を見直してみると、自由電子と不純物原子の散乱における高次の効果として、背景にいる多くの電子が重要な役割を果たしていることがわかる。背景で生まれて消える電子の量子的な影響。これが近藤効果をもたらしている。

クォークの理論に話を戻そう。前回紹介したように、クォークを支配する量子色力学は、量子電磁力学と非常に似たつくりになっている。電子があるとその周囲に電場ができるのと同じように、クォークがあるとその周囲に「色」電場ができる。違いは「色」の部分で、これはクォークの波動関数が3つの成分をもっていることに由来する。3つの成分のことを色の三原色との類推で「色」と呼んでいるが、実際の色とは何の関係もない。そもそもゲージ対称性というのは「色」の空間で回転をほどこしても理論が変わらないということなので、ある瞬間にクォークが「赤」なのか「青」なのかという問い自体が無意味になっている。とにかく、クォークのもつ色荷には3つの種類があり、その「色」に応じて異なる「色」電場ができると考えればよい。(そそろろ「色」とかぎカッコをつけるのがうっとうしくなってきた。以下ではもうやめることにしよう。)

クォークの周りにできる色電場。電磁気学の電場と異なる大きな特徴は、それ自体が色をもっていること。これも、色の空間での回転によって理論が不変に保たれるというゲージ対称性のおかげだ。電場も色をもっていることにしないと、クォークだけ色成分を回したときに具合が悪くなる。ともあれ、色電場は、それ自体が色をもっており、その色はさらに別の色電場を生む。そして、その色電場もまた…。雪だるま式に色電場がつくられていく。

以前、真空の誘電率について考えてみた。電子がつくる電場が真空に作用する、つまり真空中から電子と陽電子の対をつくりだして偏極させるせいで、電場を弱める作用があるという話だった。今回考えているクォークの場合は、真空中に次々と作られる色電場が自分で自分を再生産し、どんどん強い電場をつくりだす。非常に似た過程をへて、実際にはまったく逆のことが起こるというわけだ。

近藤効果は、物質中の電子による量子効果だった。ここで考えている真空の話とは全然違うように思われるだろう。だが、真空とは現象の起こる背景、あるいは舞台のようなものだと思えば、実は非常に似た話だということがわかっていただけるだろう。異なる現象のなかに類似点を見つけて味わうのも物理学の楽しみ方の一つだ。

量子色力学では、雪だるま式色荷のせいで、クォーク間の距離が離れると働く力が強くなるという性質がある。このことを「漸近自由性」と呼ぶ。これは逆に近づくと力が弱くなるという点を強調した名前だが、実体は同じことだ。近距離で力が弱くなるという性質が、量子色力学の発見に重要な役割を果たした。これについてはいずれ紹介することもあるだろう。遠距離で力が強くなるほうは、もう一つ注意が必要だ。雪だるま式にできた色電場がその後どうなるのだろう。このままだと私たちの周りは強力な色電場だらけで大変なことになってしまう。

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