パイ中間子はなぜ軽いのか

素粒子物理と原子核物理の境目はどこにあるのだろう。学問に境界はない、わざわざ境界を設けるとはけしからんというお叱りを受けそうだが、 そういう人でも、予算や人事の話になると「我々の分野は極めて重要」とか言い始めたりする。だから、この境目は学問分野というよりも政治力学や好き嫌いによって決まっているという気がしないでもない。もっとも素直に考えると、素粒子物理はクォークを出発点と考えるのに対して、原子核物理は陽子・中性子を基本自由度と考えて、それらを組み合わせてできるいろんな原子核の性質を調べるという点で区別するのがもっともらしいのではないか。クォークは閉じ込められて陽子・中性子の外には出てこないので、ここには大きな断絶があって、だから陽子・中性子を基本自由度に取るのは理にかなっている。だが最近は、原子核物理もクォークを出発点とした理解を目指す、というところまで進歩している。それどころか、高温で陽子・中性子が溶けてしまったクォーク・グルーオン・プラズマを調べているのは主に原子核分野の人たちだし、陽子の中のクォークの分布を調べているのも原子核分野の人が多い。あれ? 基本自由度で境界を決めるのはどうも無理があるのかもしれない。そういえば素粒子の学会講演で「クォーク」という言葉を聞くことは実はそんなに多くない気がする。どうなってるんだろう。

素粒子にはいろんな種類があって、そのまとめを書いた分厚い辞書みたいな本があるというをした。それがアイソスピンストレンジネスで区別できるという話も。今回からは、数ある粒子のなかでも特別な役割をもつ粒子、パイ中間子のことを考えてみたい。パイ中間子には、陽子・中性子とその励起状態にある粒子、あるいは数ある中間子のうちで、格段に質量が小さいという特徴がある。おかげで湯川秀樹の核力の理論で力を伝える粒子の役割を担っている。なぜパイ中間子は軽いのか、それも他と比べて極端に軽いのか。ここには深い話が隠れている。

最初に種明かしをしよう。この問題への答えは「自発的対称性の破れ」の結果だということになっている。どういうイメージか考えてみよう。固めのゴムボールを持っていると想像してほしい。ぎゅっと握りつぶすのにはかなりの握力がいる。一方で、そのままくるくる回すのは楽にできる。質量とは、力を加えたときの動かしにくさの指標なので、ゴムボールに加える力では、握りつぶす方向には質量が大きく、回す方向にはとても小さい言えるだろう。実際のパイ中間子でも同じことが起こっていると考えられている。空間の各点にゴムボールのようなものがあって、握りつぶす振動が伝わるモードと、回転方向の振動が伝わるモードがある。後者が現実のパイ中間子で、おかげでこの振動モード(=粒子)は他と比べてとても軽くなる。

イメージしてもらえただろうか。なるほどわかった、と思ってもらえればいいのだが、そうでなくても気にしなくてもよい。そもそも一番大事なことを飛ばしてしまったからだ。パイ中間子はクォークと反クォークでできていると言った。「自発的対称性の破れ」を説明したつもりのゴムボールの話には、クォークはどこにも出てこなかった。そんなのでいいはずがない。この仕組みのなかでクォークがどうなっているのか理解しなければ。


※ 「クォークの気持ち」から転載のうえ一部修正。


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