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小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.01

「おい、マコト! バンドやるけん、お前ベース弾け!」
 高校2年2学期の始業日、長かった全校集会が終わり、教室に戻って席に座ろうとしていたら、同級生のショウイチがやって来てそう言った。

 残暑の蒸し暑い体育館で行われた全校集会は1時間以上も続いた。校長の話は長いし退屈で、「はぁ〜、やっと終わってくれた…」と思ったら、教頭が登壇した。「さっきの校長の話と同じやん…」と思ってしまうような教頭の話がやっと終わったと思ったら、生活指導の先生が体育の先生を引き連れて現れて、服装検査をやると言った。
 服装検査は学年別に分かれて始まった。
(髪を引っぱんなや! 前髪が眉毛にかかろうが、耳に髪がかかっとろうが、誰にも迷惑かけとらんけね… )
 髪型や服装を細々と注意されてイライラした。
 しかもその後でボクら2年8組だけ残るように言われ、学年主任でもあるうちの担任と体育の先生たちから、全校集会での態度が悪いと怒られた。
(朝っぱらからたまらんね…、うちのクラスばっかり目の敵にしやがって…)
 今日からまた始まる死人のような日々を想像してうんざりした。

 2年8組は、クセが強そうなヤツを学年中から選抜して集めたような男子だけのクラスだった。問題を起こしそうな生徒を集めてしまえば管理が楽だと学校は思ったのかもしれないが、そんな思い通りにうまく行くはずがない。1学期早々から問題をいろいろと起こして先生の手を煩わせた。先生たちはそんな生徒をなだめたりすかしたり、時には鉄拳制裁で押さえつけようとしたが、2年8組のメンバーは結託して抵抗した。通っている高校は県下では進学校と言われていたものの、このクラスだけはマジメに勉強する雰囲気は全くなかった。すぐにこの雰囲気に馴染んでしまった自分の成績は、下位から更に下がり、1学期末には最下位あたりになってしまった。
 1年生の時に女子目当てで入った新聞部は、記事を書くのが思っていたより大変ですぐに辞めてしまった。学校はうちの近所だったけど、授業が終わると地元の友だちの家に寄って暗くなるまで時間をつぶした。家に帰ると母親が用意したご飯を食べ、テレビを観て寝る。ほとんどそんな毎日の繰り返しだった。
 地元の友だちには暴走族をやっているヤツもいて、何回かバイクの後ろに乗せてもらったこともある。でもスピードは怖いし、事故で死んだりケガしたりするのはまっぴらだ。敵対するチームとケンカもしたくないし、殴られたくもない。痛いのは絶対にイヤだ。自分には絶対に向いていないとすぐに悟った。
 勉強はできない。スポーツも興味ない。友だちとつるんで少しだけ悪いことに手を出したりもするけど、暴走族をやる程の気合いはない…。こんな生活だから女の子との出会いもない。自業自得とは言え、窮屈で退屈な毎日だった。
(バンド…、女の子にもてるやろうか?)

「バンドね? イイけど、どんなん演るん?」
「パンクばい!」
「パンクロックね?」
 1学期までパンチパーマだったショウイチのヘアスタイルは、赤く脱色してパンクス風に短くなっていた。
(それでこんな髪型になっとるんやん…。そう言えば、コイツもルースターズのライヴに来とったよね…)

 ディープ・パープルやホワイトスネイクを聴いていたボクに、地元の友だちが「マコちゃん、まだそんな古臭いの聴きよるん?」と、もっと古い50年代のロックンロールのカセットテープを貸してくれた。
“オールディーズ・バット・グッディーズ/OLDIES BUT GOODIES”
 高1の夏、地元の友だちの間で1950年代後半から60年代前半の音楽が流行り始めた。映画の「アメリカン・グラフティ」や「グローイング・アップ」を観て、ファッションを真似するようになった。
 高2になる頃、今度はその友だちが「観客の女の子が拳を振り上げて“やりたいだけ!”って叫ぶ、すごいバンドがおった」とルースターズのレコードを持って遊びに来た。「腑抜け野郎の脳天をたたき割れ!」と帯に書かれた30数分のアルバムを夢中になって聴いた。ルースターズやロッカーズの最新型のロックンロールを聴くようになり、黒いスリムのジーンズを穿いて、首や頭や腕にバンダナを巻くようになった。
 1981年、福岡のロック・シーンはルースターズやシーナ&ザ・ロケッツ、ロッカーズ、6月にロンドン・レコーディングのアルバムでデビューしたモッズの活躍で大いに盛り上がっていた。そんな福岡のバンドを特集するFM放送の番組もあり毎週聴いていた。

 1学期末試験が終わった7月10日…、セカンドアルバムを発売した直後のルースターズ凱旋ライヴが小倉のヤマハショップホールで行われた。
「ラジオ上海」〜「ワイプ・アウト」のオープニングSEが流れる中、メンバーがステージに登場すると歓声が上がった。1曲目は「エヴリシングス・ゴーズ・オン」、続けて「ディスサティスファクション」。
 初めて観るルースターズは大きく、光り輝いていた。
「ビールス・カプセル」、「モナ」、「ガール・フレンド」…。
 最初こそ前の方しか立ち上がっていなかったが、演奏が進むにつれ盛り上がり、まぼろしのデビューシングル盤「ロージー」が演奏されると総立ちになった。熱気に包まれたライヴはアンコールで演奏された「カモン・エヴリバディ」でクライマックスを迎えた。興奮は冷めやらず、2回目のアンコールもあった。「イン・アンド・アウト」「バイ・バイ・ジョニー」そして2回目の「ディスサティスファクション」で終演。
 退屈な毎日を過ごしていた高校生には刺激的で楽しいイヴェントだった。
 ショウイチにバンドに誘われた時は、正に「ディスサティスファクション」な状況で、退屈すぎる毎日をぶち壊してしまいたかった。



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