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コロナ禍で新書を読むようになった

こんばんは。子どもの頃、玉川上水沿いを父の車で走っていたとき、「太宰治はこんな川で女と心中したのか」と思ってました。小学生くらいでも、何でそんなこと知っていたんだろう? 両親から聞いた覚えはないので、何かの本でしょう。小学校の国語の教科書に太宰治が出てくるなんて話は聞いたことがない。中学校では「富嶽百景」が出てきたのを覚えてます。

なーんていっても、今日は6月20日。桜桃忌は昨日でした。
昔の玉川上水は水量が今と違ってたんでしょうねえ。あと今では柵が張りめぐらされています。

太宰治の「ビギナー向け小説」があったら教えてください。

友達が呆れるほどA○azon嫌いなので、本は極力本屋さんで買ってます。とはいえ、コロナ禍なのか町内の本屋さんは閉店してしまいました。都会の本屋さん(主に三省堂書店)か地元の駅ビルの本屋さんがほとんどです。

隣の市の本屋さんは、コロナ禍初期に散歩をしながら新書を買ってました。その頃は「新書は1000円でお釣りがこない」ことにも気づいてませんでした。価格は裏表紙に書いてあるはずなのに。税込みの計算もできないのか。

その頃買ったものの放置して、積ん読として熟成している新書もあるにはある。当時「給食の歴史」(藤原辰史著、岩波新書)にどハマリしてたのもあり、食べ物の歴史関連の本を買ってた(笑)。途中まで読んでそのまま。

中公新書には、他にも「チョコレートの世界史」なんて本もある。著者も「ミルクと日本人」と同じだ。

どうやら私は食べ物にも興味があるらしい。

うーむ、図書館で新書を探すという概念があまりない。新書は鮮度が短いので、旬なうちに書店で買ってしまう。後で痛い目に遭うことも覚悟しないで。斎藤茂吉の「万葉秀歌(上下)」のロングセラーは、極めて稀なんじゃないかと。

新書を探すようになったのは、明らかに隣の市の本屋さんの影響が大きいです。今思うと駅ビルの本屋さんよりも種類がある。まあ教育熱心な土地柄なのもあり、その本屋さんは大衆向けより若干インテリジェンスに向けた品揃えに走ってる。一応マンガもあるけど、買う気がしなくなるほどわけのわからない並べ方をしていない(マンガも勉強に役立つという考えをしています)。

新書を読むのに、図書館のお世話になるのは「出版社在庫切れ」のときですね。オンライン検索で何故かヒットする。神保町を探しても見当たらないのに(探し方が悪いのか)、図書館に置いてあるのは何故だ。
買った本は積ん読にしてしまうことも多々あるので、図書館で借りるのもアリです。掃除をしながら「次こそこれ読もう」の繰り返しです。

やっぱり本を買ったら、包装紙でブックカバーをかけるのがマズいんだよなあ。背表紙が焼けたり汚れたりするのが嫌でつけてます。

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