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極北のフィールドアシスタント(上)

その年の秋、北極探検家の山崎哲秀さんにお会いした。「フィールドアシスタント(極地の案内人)」というNPOに参加した以上、会っておかなければならない人だと感じたからだ。もう30年以上、北極に通い、研究者を案内し続けている。


きっかけは植村直己

もう30年以上、北極に通い続けている。毎年冬、おもにグリーンランド北極圏のシオラパルクという村に出かける。肩書は「北極探検家」。犬ぞりの技術など、北極という特殊なフィールドでの豊富な経験をもとに、ここを研究対象として訪れる学術研究者のお手伝いを続けるフィールドアシスタントだ。

山崎さんは1967年に兵庫県で生まれ、幼少期は若狭地方の福井県高浜町ですごした。高校は京都市内の進学校に進むも、自分は本当に何がやりたいのか分からずに悩んでいた。
ちょうどそのころ、新聞やテレビで連日、植村直己という日本人がアラスカのマッキンリーで遭難したことを報道していた。そして偶然本屋で植村直己の本に出会い「見事にはまった」。

『青春を山に賭けて』。若き日の植村さんが、世界中をめぐりながら自然の中で生きていく姿にあこがれた。大学に進学することなく上京。社会人山岳会に入り、山登りをする生活を始めた。19歳の終わりごろ、ふと、東京から京都の実家まで歩くことにした。東京から750キロ、2週間の旅だった。

すでに山にはずいぶん登り、面白くなりかけていたときだったが、この旅をきっかけに垂直ではなく、水平方向の旅の魅力を知った。
そして植村さんが挑戦したアマゾン川に乗り込んだ。1987年、いかだでアマゾン川を下り始めた。だがすぐに転覆し、死にかけた。20歳で再挑戦。今度は上流から河口まで下ることができた。5000キロ、44日間の旅だった。

北極入門

その後も植村さんへの陶酔は醒めず、後を追うようにグリーンランド内陸部を北から南まで、植村さんのルートを一人で歩いて縦断したいと思うようになった。

そのグリーンランドを初めて訪れたのは21歳の時。この時は、まずは偵察という気持ちだった。翌年、真冬のグリーンランドを経験しようと再訪した。気温はマイナス38度。「完全に打ちのめされました。テントを張ろうにも、手も足も出ず、日本に逃げ帰ってきました。この時やっと気づいたんです。先生が必要だと」

グリーンランドの最北、シオラパルクという村に大島育雄さんという日本人が住んでいた。「この人に弟子入りして教えてもらおう」と初めてを訪問したのは23歳の時だった。それ以来、夏は日本に帰り、冬になるとグリーンランドに通う暮らしが始まった。
グリーンランド縦断の夢に向け、自分でそりを引っ張って歩きまわり、極地でのノウハウを積んだ。「寒い地方で行動するのは大変なことなんです。一人でやっていけるようになるのに10年はかかりました」

毎年グリーンランドを訪れては、植村さんの歩いたグリーンランド内陸部縦断の夢をかなえるため、政府に申請を続けた。だが単独での冒険はなかなか認められず、10年間申請し続けたが結局、認められなかった。

新たな道

ところがそのころからいくつかの変化が訪れた。一つは先住民の人たちが移動に使う伝統的な犬ぞりの技術に関心を持ち始めたこと。さらにその犬ぞりを使い広い範囲を行動しながら、学術的な観測調査をすることだ。自分の向かう先が植村さんの足跡から離れ、新たな方向へと向かい出した瞬間だった。研究者の観測調査に同行すると、こんな面白い世界が北極にあったのかと、驚いた。研究者の間での信頼も生まれ、ノルウェー領スピッツベルゲン島での調査などにも助手として呼んでもらうようになった。さらには「南極の世界を見るべきだ」と勧められ、第46次南極観測隊(越冬隊)に参加した。南極に建つ立派な昭和基地に感動しつつ、「それに比べたら北極の観測は少し遅れているな」と感じた。南極に出かけたことで、北極の観測体制をもうすこし底上げしたいという気持ちが高まっていった。

アバンナット計画

そして06年から10年がかりの「アバンナット(強い北風)計画」を開始する。これは多くの人に北極観測の重要性を訴えながら資金を集め、北極の広域的な調査をしようというもの。費用はTシャツを売ったり、犬サポータを呼び掛けるなどして集めた。

10か年計画は2016年に当初の区切りを迎えたが、夢はさらに膨らんでいった。それは南極に昭和基地があるように、北極にも継続して観測ができるような「北極観測基地」をできれば民間の力で作ることだ。その夢に向かい、17年には一般社団法人を立ち上げ「アバンナット北極プロジェクト」を開始した。「10~15年計画でやりたい」と話す。

地球温暖化により北極の氷が減少し、通年にわたって通行できる北極海航路が新たな物流ルートとして注目されるなど、北極観測は今、注目を集めている時期。「いまだからチャンスです。小さな規模でいい。最低限の寝泊まり出来て、基地になるような施設を作りたい。できれば民間の力で」と話す。

(次号へ続く)

※写真はイメージ


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記者、編集者。旅や冒険についての取材、編集しています。

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