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第六話 苦悩と葛藤のリハビリ生活 〜前編〜


2017年7月31日

僕は人生の分岐点に立たされていました。
サッカーと共に過ごしてきたと言っても過言ではない自分にとって長期離脱となる怪我。

『右膝前十字靭帯断裂』

この怪我は一般的には8ヶ月〜10ヶ月でプレー復帰できると当時は言われていました。
これまで何度か戦線離脱の怪我を経験してきた自分にとっても、長過ぎる怪我でした。病院の先生に診断をされてもこの頃は全くその期間の長さに恐怖を感じていませんでした。

膝の腫れが引かないと手術はできないため、手術までの約1ヶ月半、リハビリが始まりました。術後はしばらく足の筋肉を使えないため筋肉が細くなるのですが、そのための備えとしての内容がメインでした。

手術日に近づくにつれて松葉杖が取れ、普通に歩行をできるまでになり、本当に怪我をしているのか疑うほどでした。
しかし、自分の中ではあくまで手術のためのリハビリであり、「手術をしないことには何も前進していない」と、もどかしい気持ちでいっぱいでした。競技復帰に意味のあるものなのか疑ってしまう日もありました。

そして迎えた手術当日、この日は高校の文化祭の日でした。皆が楽しんでいる一方で、自分は人生をかけた闘いがありました。
信頼できる先生であったため、手術に対しては不安はなく、むしろこの手術を機に「自分は生まれ変わるんだ」と自分に言い聞かせ、ようやく復帰に向けてスタートができるんだと前向きな気持ちでした。



全身麻酔から目が覚めると、病室のベッドにいました。その日は下半身にはまだ若干の麻酔が残っていたため感覚がなく、なかなか眠りにつくことはできませんでしたが、痛みはあまり感じませんでした。

次の日の朝、目が覚めると朝から膝の痛みが僕を襲いました。鎮痛剤を飲んだり、座薬を使っても痛みが無くならず、自分自身何に対して憤りを感じてるのかも理解できず、一日中イライラが止むことはありませんでした。誰一人悪くないのに僕は家族や看護師さんたちに対して口が悪くなったり、不甲斐ない態度を取ってしまいました。僕はこの日のことをすごく後悔しています。そして、この日が一番痛みについては苦しい日になりました。

入院中のリハビリは膝を曲げ伸ばしすることから始まり、退院する頃には松葉杖を使って歩けるまでになりました。

その後は段階を追って、歩けるまでになったものの高校を卒業するまでにランニングをすることはできませんでした。

退院をしてからのリハビリ期間、僕にとってのグランドはチームメイトが練習しているグランドではなく、屋内のトレーニング場でした。内容はざっくり説明すると
超音波治療→有酸素運動→筋力トレーニング→アイジング
と、いったものです。
怪我人が出ては一緒にリハビリをし、その人復帰してまた1人になる。リハビリ期間中はこの繰り返しで、言っちゃえば孤独との闘いでした。

しかし、不思議なもので初めの1.2ヶ月はサッカーがしたいと思うことが多々ありますが、数ヶ月経つとサッカーができない日々に慣れてきてしまい、そういった感情が表面に出ることはあまりありませんでした。ただ、勘違いして欲しくないのは僕の中では復帰後に爆発させる野心はフツフツと燃え続けていたということです。
そんな僕ですが、悔しさが込み上げてくる瞬間があります。それがチームが劇的に勝った時や皆が活躍しているのを見る時です。嬉しくないのではなく、その場に立てていない悔しさや自分がチームに在籍している意味に不信感を湧くことがあったからです。チームメイトのことは大好きなのに、なぜかサッカーの局面になると素直に喜べずにいて、そんな自分がまた嫌になる。その悔しさをうまく活力にしてリハビリに取り組める日もあれば、全然気分が乗らない、果たして本当に復帰できるのかという気持ちが勝り、気分が乗らない日もありました。

先ほども記したように結局僕のユース生活はリハビリで幕を閉じました。この字面だけを見れば悲しく感じるかもしれませんが、リハビリ生活を含め僕のユース生活は生涯の財産に間違いなくなりました。サッカー選手としての喜び、楽しさ、辛さや悔しさなどの様々な瞬間を頂点から底辺まで味わうことができたからです。

そして始まる鹿児島県での挑戦、鹿屋体育大学編
入学後もシーズンの半分以上の期間復帰できずにいた僕がどんな心情でどんな取り組みをしていたのか、復帰までのラストスパートが明かされます。

今回も最後までお読みいただきありがとうございます😊

【次回予告】第七話 苦悩と葛藤のリハビリ生活 〜後編〜

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