自己紹介


看護師として現在に至るまで

山梨県出身・在住の10年目の看護師です。内科病棟2年、リハビリ病棟4年勤務後、内科、外科、整形外科混合の病棟に転職しました。1年目の時に先輩として一緒に働いていた妻と結婚し、現在2人の子どもと4人で暮らしています。
 
10年目ということで現在はベテラン看護師に足を踏み入れようとしている所まで来ましたが、看護学校時代は実習が上手くいかず苦労しました。

元々、昔から生真面目という性格でしたが、看護記録が上手くかけず、実習中は睡眠時間を減らさないと記録が終わらないこともあり、精神的に落ち込んでしまう、落ち込むと更に看護記録が上手くかけないという負のループに陥り、実習に行けなくなった時期もありました。

そこで一旦休学という形をとり、休養をしました。実際、朝も起きれない、起きても何も手につかないといった状態だったので完全に限界でした。

実家で休養していましたが、親はその状態でも何も言わずにサポートしてくれました。その間、看護学校を辞めようとは考えたことがなかったと思います。

すると半年ほどで、やる気にあふれるようになってきました。そこで看護師になるためには何をすれば良いかを考えました。幸い時間があったため、知識を一から見直すことにしました。

本当に基礎から科学的根拠も理解し直すように学習しました。しっかりと準備をしてから実習をすると最初は少し上手くいかないこともありましたが、精神的に辛い時期を経験したことで、患者さんの辛い想いへの共感も心からできるようになり、無事看護師になることができました。

看護師になってからも、精神的に辛かった経験は活きており、常に患者のためにという看護師であるなら大前提の心得で自然と行動し続けられていると思います。

また、3年目の時の指導者の「退院調整は患者をいかに家族と思えるかだからね」という言葉が残り続けており、時には家族の希望が強いけど、医療者の意見と合わない場合には周りを巻き込みながら医師とでも闘う覚悟をもって代弁することもありました。

最初の病院は私の看護師としての根幹を正しい方向に育ててくれた場所でした。感謝しかありません。



なぜ看護師だったのか

そんな私ですが、そもそもなぜ看護師になったのかをお話しします。
高校を卒業後はIT系の専門学校に行き、プログラマーとして1年ほど働きました。

入社して数ヶ月である案件でトラブルがあり、新人が8名ほど助っ人として出向しました。何も分からない中で深夜までの残業をしていました。そして、1週間ほど経った頃、東京から福岡への出張となりました。そのトラブルに関わった期間は1か月ほどでしたが、残業時間100時間超えとなり、トラブルが解決されたわけでもなかったため、非常につらかった思い出です。

出張後は、能力が高いと思われていたためか、新人なのに1人で出向しました。知っている人が全くいないだけでなく、広いフロアで人はたくさんいましたが、仕切りがあり、物置のような場所で1人だけ作業をしました。上司からはうざがられてるけど、引かずにがんばれと言われがんばりましたが、今やっていることは本当に人の役に立つのだろうかという思いも強く、ここでも非常に辛かったです。そして、次第に休日でも辛くなり、うつ病と診断されました。それでも仕事は続けました。
次の出向先では、隣に人がいても仕事以外の関わりはほぼないといったこともあり、人に関わり、人の役に立てる仕事をしたいと思いに至りました。
うつ的な状態も続いていたため、親の助言もあり、退職する決心をしました。

そして、両親の助けがありながら1年かけてうつ病から立ち直り、両親が医療従事者だったこともあり、いくつか候補はありましたが看護師を目指すことを選びました。



子どもたちへの想い

今は2人の子どもがいますが、妻とともに辛い経験もしています。

長男は自然妊娠でしたが、妊娠が発覚して1か月ほどで出血があり、夜勤明けで年始から病院に行ったことを覚えています。そして安静が始まりました。痛い所などないのに動いてはいけない妻、ずっと寝ているというのは退屈だし、かなりの苦痛ですが、何もしてあげられない自分がもどかしかったです。

仕事をしながら、家事を全てこなす生活は疲労も溜まりましたが、2週間ほどで安静は解除され一安心でした。順調に仕事にも復帰し、毎回の検診もすごく楽しみに付き添いました。そしてようやく産休に入ると2週間ほどで子宮頸管が短い(子宮の入り口が開きかかっている)ということでまた安静となりました。少し安静の生活も慣れていたため、安静生活を乗り越えることができました。

そして出産予定日の2週間前に妻が散歩をすると陣痛が始まりました。
当時は3交代制の病院で、日勤→深夜入りの日でしたが、出産がずれることを予想して準備してくれていた上司に夜勤を交替してもらい、そこから30時間ほど陣痛に耐える妻の腰を押し続けました。
食事もあまりとらず、眠気にも襲われ、妻も自分もただただ必死でした。
なかなか陣痛が進まず、最終的には陣痛促進剤を使い、そこからは早かったです。産まれた時には気づいたら涙が出ていました。
看護実習で新生児を見る機会はありましたが、可愛いと思えたのは我が子が初めてでした。
本当に嬉しかったです。
翌日からはまた仕事でしたが、退院するまで毎日面会に行きました。
退院して数日後、妻が高熱となりました。お腹を空かせた長男を抱っこしながら病院からの説明もなく1時間ほど不安な時間を過ごしました。
妻に会った時には安心したためか涙がでました。
そして入院となり、3日ほど新生児だった長男を1人で世話をすることとなりました。もちろん夜もミルクやおむつ交換をしていたのでフラフラになりながらでしたが、この経験をしたことで長男を更に大事に思うようになりました。

次男はなかなか妊娠できず、不妊外来に通い、卵管造影という卵管の通りをみる検査をしたことで卵管の通りが良くなり、いわゆるゴールデンタイムの期間で妊娠しました。
まだ本格的な不妊治療をしたわけではなかったですが、妊娠した時から非常に嬉しかったです。
そして、次男の妊娠時も妻は何度か安静になり、一度入院もしました。
親の協力を得られたため、仕事も減らすことなく続けられましたが、引っ越しが重なり、体調を崩すこともありました。
数日、寝込むほどに体調を崩し、体調が回復した後も何度か安静になり、体力的に限界を感じていましたが、期間的にもゴールが見えていたため何とかふんばり、乗り越えました。
コロナの影響で出産に立ち合うことはできませんでしたが、次男の時は育休をとりました。
妊娠するだけでも苦労した経験と成長を近くでみられたためか、次男もすごく可愛く思っています。

長男も次男も出産までに大変だったエピソードがあるからか、本当に私の宝物になりました。

1度目の転職は子どものことを考えて行いました。実際に2か所目に勤めていた病院のおかげで、年度の途中から保育園に入ることができました。
次男の出産後に育休もとらせてもらっていたのですが、育休後に復帰すると徐々に長男が夜勤で夜家にいないことを嫌がるようになってきました。
そのタイミングで友人から訪問看護のお誘いがありました。当時は3人目の出産時に育休をとることも考えており、収入も減ってしまうため、今は考えるタイミングではないと思っていました。また同時に育休明けに看護師としてのキャリアを考えることが増えました。
そして夜家にいないことを嫌がることは徐々に悪化していきました。思ったよりも妊娠にも時間がかかり、長男のことも考えるとどうした方が良いか悩みました。妻に相談すると「やりたいことだったら良いんじゃない。」と言われ、自分が一番やりたいことは看護という仕事ではなく、“子どものためになること”なんだと気づきました。そんなタイミングで再度友人からお誘いがきたことや妻の後押し、収入面の不安も知識を得ることで減ったため、転職することを決意しました。
 
そして順調に内定ももらえ、急な申し出でしたが、約2か月後に転職できることとなりました。転職先は実習でしか体験したことのない、精神科+訪問看護なので、自分的にも挑戦ですが、子どもたちのためにも新しいことに挑戦していきます!

私の1番想いが強い所は、子どもです。
このブログでは子どもが将来、幸せに生活できるようという想いで実践していることをお伝えしていきたいと思います。

長文でしたが読んでいただき、ありがとうございました。

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