徳満 翔平 / Shohei Tokumitsu
なぜ起業したのか、という問いについて
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なぜ起業したのか、という問いについて

徳満 翔平 / Shohei Tokumitsu


初めてお会いする人や昔から友人にも最近、なぜかよく聞かれる質問に関して、近々採用なども行っていく予定なので、自分自身のことをもっと公開していこうと思い、整理しようと思います。

1、「社長になりたい」訳でも、「起業」にも関心がなかった

よく「社長になりたい」とか「会社やりたい」という話を聞きますが、僕はそういうの一切なくて、今でも銀行の方に「徳満社長」と言われると、物凄い違和感でしかないので、「社長という呼び方、辞めてください!」と言ってます笑

今でこそ独立してからは、それこそそれまでお会いしたことがなかった人にもたくさんお会いできて、この選択は100%間違っていなかった(過去に所属していた会社も最高でした)と言い切れますが、大学時代は、周りに自由に働く人がたちもいるくらいで「起業」という言葉は頭にありましたが、大きな関心はありませんでした。

そんな僕が、なぜ起業したのか、という答えなのですが、

「主体者として生きる=働くことができるから」

が、自分の中の答えでした。
(最後にここの部分を丁寧に書きます)

企業内で主体者として働ける人も当然いますが、僕は駄目でした‥それはなぜか科学できていませんが笑

その話は置いておいて、過去を少しさかのぼります。

2、家庭環境

僕の家族は、父、母、弟とサラリーマン家庭で育ちました。

父は、ごく一般的な”いいお父さん”というような人で、出張が多い、通勤したくないからという理由で丸紅を辞めて、家から5分の外資系の企業に転職するような家族を大事にする人です。

僕は、そんな父の嫌な所として、仕事が楽しくなさそう言動を見ることでした。

ちゃんと学歴があって、良い会社にも就職できている人でも、はっきり仕事はつまらない、と言い切って生きれるのかあ、と当時思ったことを覚えています。

家も買って、家族を持つことの大変さは当時は分からなかったですが、とはいえ僕らの世代は、23-25歳から70-80歳まで働く訳で、仕事が楽しくないとか、もはや地獄、そうなったら死んでもいい‥とまで大学時代、就活する時に本気で思ってました。

そんな父の元で育ったため、バックグラウンドとして、働くこと=楽しいものにする、という生き方の指針を大学時代に持ちました。

3、高校時代

僕は高校生の時、大学受験で一度失敗しています。

偏差値60くらいの学区で上から2番目の高校で、卒業生はMARCHに行くような人が2割、早慶1割、日東駒専レベルが5割、2割が専門学校、みたいな学校で、卒業する時の学力(学校の授業はほぼ聞いていない)は250人中200-220番目あたりを彷徨っていた気がします。

まあ、つまり頭は悪かったわけですね笑

そんなあほが受験をして、MARCH狙いが全滅して、後期試験(枠が余っていて倍率30倍?とかになる試験)に見事(なぜか)受かって、100人位の受験生の中で見事3枠に入り、専修大学という大学に入学しました。

割とこの挫折が、多くの大学生の人とは違う経験ができた機会となりました。

4、大学時代(就活まで)

まあまあ奇跡的に入学できたので、この運を無駄にしまいと、本気でこの4年間の価値を最大化させようとする反骨精神が培われたかもしれません。

当時の大学生の自分からすると、本当に何もできない(今でも何ができると思っていませんが笑)ので、とにかく生きる世界を拡げないと、と思っていた記憶があります。

そんなこんなで、学校には友達はあまりいなくて、大学外のコミュニティが多かった4年間でした。
(今でも大学時代に出会った人で、キャンプしたり、サウナしたりする友達がいて、今思うとあの時、受験失敗していなかったら大切な友人と出会えてなかったなあと思ってます)

僕が大学に入った4年間の財産は、色々な価値観に触れて、今でも繋がっている人たちと出会い、めちゃくちゃあほだったけれど、思考力が身に付いたことだと思っています。

特に大学のゼミでは、「途上国の貧困について」学ぶゼミだったので、多分東南アジアの国には、ほぼ全て渡航してフィールドワークしました。

自分が生きている世界(先進国)では起こらない問題や課題を目の当たりして、どうやって解決すればいいのか、と割と本気で考えていた記憶があります。

ビジネスのことは分かっていませんでしたが、「貧困、援助、支援」などの勉強をする中で、本質的に、何のために資本主義のシステムがあって、なぜビジネスが社会の課題を解決できるかの仕組みを学べました。

ここで僕は初めて、資本主義の仕組みを使って(=ビジネスで)社会の課題を解決していきたい、と思うようになり、いつか事業をつくりたい、と考えるきっかけになりました。

今思うと、大学時代の行動と時間、繋がりや機会が、宝だなあと思う機会があり、改めて父には感謝です。

5、猛烈に悩んだ就活

振り返ると、就活は僕に「起業」という言葉をかすかに与えてくれた時間でした。

仕事が楽しくないとか、もはや地獄、そうなったら死んでもいい

と思っていたので、とにかく自分が主体的に働ける環境を探していました。

僕が就活していた当時(2010年)は「ベンチャー」という言葉が、今よりまだなくて「大企業=凄い!」、「ベンチャー=大丈夫?」みたいな空気がありました。

周りは大きな会社や知名度がある会社を受けまくっているのをよそに、僕は社会ではあまり知名度は無くても、めちゃくちゃいい会社がたくさんあることを知っていたので、そういう「え?どこそこ?」みたいな会社を片っ端から受けてました笑

比較的早くに内定を頂きましたが、内定後アルバイトを数ヶ月経て、内定式も出席したけれど、卒業前の2月(3月に卒業)に辞退しました。

このタイミングでの辞退は、色んな人に「お前、頭大丈夫?」みたいなこと言われましたし、進路が決まっていないのにバリ島に行ったり(笑)、まあここでもあほでしたね、今思えば笑

再度気持ちを整理し、卒業前に内定を頂いた企業が当時創業6年目、社員20人のマーケットエンタープライズ社(15年上場)でした。

リユース領域には、強い興味がある訳ではなかったですし、特にやりたい職種もなかった記憶があります。

ただただ、社長や専務のお人柄、ビジョン、価値観に共感した、ということだけです。

僕が入社した時から、ずっと変わっていない理念。本当に凄い。

コメント 2020-08-26 101747

引用:マーケットエンタープライズ社

今でも覚えているのですが、僕が求めていた環境は「これだ!」とHPを見て瞬間的に感じ、加茂さん(専務)との面談の時は、想いを伝えすぎて急に涙出た記憶が残っています。

新卒は大したことできる訳ないので(当時から本気でそう思っていた)、とにかく機会があって、自ら機会を取りにいけて、爆速で成長できる環境=結果を出しにいける環境を探していたので、内定を辞退し、当時ほぼ選択肢がない僕にとっては、願ってもない最高のフィールドだったと、今でも思っています。
(捨て犬を拾って頂いた感)

6、社会人(~4年目)

どんなキャリアを歩んだかは、上記を見て頂ければと思うのですが、

「主体者として生きる=働く」

ためには、どうすればいいか、という問いを常に持ちながら働いていました。

まず、そのきっかけを与えてくれたのは、IPPOMEを創業して2年目(私、社会人2年目)に参画した、今はアフリカでマイクロファイナンスの事業をしている嶺司(高校の友達)でした。

今でこそ別々の道ですが、一緒に働く前から”誰と働くか”ということを大事にしたいと考えていたので、彼と働き、改めてその重要性を再認識させてもらう、いい機会でした。

半ば気持ち的に、当時も起業したような感じの感触(正式には違いますが)で、彼が代表、僕がNo2でしたが、気持ちとしては何かあったり、失敗したら、僕もリスクを背負う覚悟でいました。

今思うと、「リスクを背負う覚悟」が、より主体者として働けるマインドになった要因でもあると思っています。

7、社会人(5年目~今)

大学時代からずっと考えていた

資本主義の仕組みを使って(=ビジネスで)社会の課題を解決していきたい


は、今で思うと、全く簡単なことではなく、IPPOME時代も模索していましたし、現にIPPOMEを退職しても力がなかったので、再びサラリーマン(Speee社)に戻って修行する機会を頂くことに。

Speee社では、事業作りができるから、という理由で入社した経緯がありましたが、満足した成果を出せず+そのようなポジションを掴めずに退職しました。

というのも、嫁から「あんた、もし独立するなら30歳までに一人立ちできるようにしてね(リミットはあと2.5年だからね)」と言われ、「2年あれば、なんとか‥」と思って独立した形で、特に大きなビジネスプランがあったわけではありません。
(創業当時は、解決していきたいドメインや事業はありました)

Speee社を退職し、独立後2年経過しても、全然事業立ち上げの一歩目を踏み出せる訳ではなく、苦しい期間でした。

単純に実力不足が不足していた、ということでもありますが、それ以上に事業開発のトライアンドエラーを行えていなかったので、当然確度が高い事業の立ち上げはできません。

そんなこんなで、今でこそ独立して3,5年半で受託×事業開発をしてきて、やっていきたい事業のスタートライン(もちろん必ずしもうまくいくとは限りません)に立てつつありますが、遠回りした感が沢山あります。

*****

とはいえ、「Speee社に仮にあと1-2年」いて、同じような土台に乗れたかというと、それは100%ないと言い切れます。

なぜなら、Speee社時代に「主体者として生きる=働く」ことができていなかったからです。

そこで、主体的に働けないと、圧倒的な成果は出ない(成長できない)

ということを、痛感しました。

自分に問題があったことも自負していますが、再度雇用される(働かせてもらう)側になって、改めて学ばせて頂き、

『今度組織を作る際は、なんとしても「人が主体的に働ける環境をつくろう」』 ※言うのは簡単

と、決意した瞬間でもありました。

8、まとめ ~なぜ起業したのか~

改めて整理すると、僕の中の”働く意義”は、

ビジネスを通じて社会の課題解決者でありたい(事業をつくりたい)

という想いと

➁自分自身が、最も主体的に働ける形は何か
それは自分自身がリスクを背負える立場にいること

の観点だな、と改めて再認識しています。

ただただ、自分の心の声に従った、結果それがたまたま起業だった訳です。

*****

起業して思ったことは、面白いことに、自分自身がリスクを追うと、基本的に”待ち”のスタンス=死、ということです。
(これは初めての0→1だから分かったこと)

だから必死で生きる訳です。
(泳げない海に放り投げられて、でも必死でもがいているような感じ)

結構しんどい時もありますが、愚痴を言ったりしても何も変わらないですし、それ言うなら、自分たちが生きるために何ができるか、を考えながら、自分の意志と行動に責任を持てることの方が、「仕事が嫌」みたいな生き方にならなくて済むと思いましたし、そっちの方が合っていたんだなと思います。
(生きるか死ぬかの環境の方が、僕は合っていたということですね笑)

独立して、どんな形であれ「主体的に働く=働いている」人と、仕事をすると、やはりいい仕事ができるなあ、と実感する瞬間にたくさん出会えます。

僕はそういう人たちと、社会の負を解決する、なくてはならない事業をつくりたいと思っています。


*****


ここまで見て頂き、誰かのお役に立てた内容だったのか定かではないですが(笑)、つらつらと今まで書いていないこと書いてみました。

今後、採用を行うことも決まっているので、自分たちを知ってもらうために、なるべく多くの情報を発信していければと思っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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徳満 翔平 / Shohei Tokumitsu
DeFactory株式会社(https://defactory.co.jp/)の代表です。 マーケティング事業、Web制作事業、開発事業を展開しています! 個人プロフィール:https://profiee.com/i/shoheitokumitsu