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9/3の日記

昨晩、肩の痛みでほとんど寝られず、明け方になってから、少しうとうとした。

お昼に、母がマクドナルドのハンバーガーを買ってきてくれる。
久しぶりに食べたが、おいしい。
前に見たアメリカ映画『ファウンダー』を思い出して、食べながら、母にこの映画のストーリーを話した。
マクドナルドの創業時の物語で、ずいぶんとえげつない事情が、容赦なく描かれている。創業者クロック氏を演じるマイケル・キートンの演技が最高だ。
その面白さから言っても、描かれたテーマの重要性から見ても、間違いなく映画史に残る名作だろう。

マクドナルドといえば、フーコーの「マックとコーラで充分だ」という言葉を思い出す。
この言葉は、フーコーが、よくありがちな愚直な資本主義批判を皮肉った言葉だと解釈されることが多い。左翼は資本主義社会を批判しているが、実際のところ、マックとコーラを食えればそれで良いではないかというアイロニーだと。
ただ、僕はそうは思わない。
これはアイロニーでも何でもなく、単に事実を述べているだけではないか。
歌手の小沢健二は、著書『うさぎ!』の中で、エコロジー思想にはまり、有機農業で作られた食品を食べているセレブを批判している。
彼らは、資本の増殖によって地球環境が破壊されていく事態に対し、エコ食品を食うことで抵抗したつもりになっている。あるいは、後進国の労働者をこき使って作られた商品を買わずに、まともな方法で作られた高級品を購入している。
しかし、考えてみれば、エコ商品も、フェアトレード商品も、資本主義の枠内で流通するただの商品でしかない。環境を破壊し、貧乏人をこき使うシステム全体には、何の影響もない。
そこで、小沢健二は言う。
「僕は、何でも飲み、何でも食う」。
このセリフは、フーコーの言葉に似ている。
だが、これが、自己満足に興じるセレブに対する単なる皮肉ではないことは明白だろう。
「マックとコーラだけで充分だ。」これは、資本主義に舌の先まで支配されている、われわれの状態を、端的に示している。紛れもない事実だ。
しかし、それで良いわけはない。マックとコーラはうまいが、「マックとコーラがうまい」などという状況は端的にクソでは無いか。そんな状態は変えていく必要がある。
だが、そう思って、マックとコーラを食うのをやめて、エコな食品を買い始めたとしても、それだけでは世の中、何も変わらない。その人は金があるからエコなものが買えるわけで、貧乏人は以前、マックとコーラを食い続けるからだ。
何も変わらないと内心気づきつつ、自分自身をごまかして、エコ商品を買い続けるとしたら、それこそアイロニカルな態度だと言うべきだろう。
フーコーと小沢健二の良いところは、このようなアイロニーが無いところである。
ここを誤解すると、「マックとコーラだけ食ってれば良いんだ」という開き直り=アイロニーに陥ってしまう。
「マックとコーラで充分だ」「僕は何でも食える」。これらのセリフは、資本主義の「ゴミ」としての我々の現状を端的に記述しただけだろう。しかし、だからこそ、われわれは、そこから出発して世の中を変えていくことができるのだ。

それにしても、急に涼しくなった。
寝不足で、横になってぼーっとしながら過ごしたので、いつものことながら、あっという間の1日であった。

したことと言えば、ソフォクレスの『アンティゴネー』を読んだことくらいである。
ちょっと前の日記に、死にたくなったとき、「どうせ死ぬなら、生き延びて、少しでも人類の叡智に触れてから死ぬのも良いのでは?」と思いとどまったと書いた。
『アンティゴネー』ほど「人類の叡智」を感じさせてくれる本はないだろう。

この本では、「弔い」の問題が提起されている。死者を弔う、あるいは弔わないということには如何なる意味があるのか。それは死後の世界と関わるのか。また、悪人を弔っても良いのか。
アンティゴネーはそれを「愛」と呼んでいるが、この「愛」はどんな意味なのか。
解説によれば、これはヘーゲル以来、神の法と人間の法の対立として解釈されているともいう。

大岡昇平も『レイテ戦記』や『ミンドロ島ふたたび』で、弔いと「死者の鎮魂」のテーマを描いている。それは、戦争と国家の問題でもある。たとえば、靖国神社については、靖国に行くことを望んでいなかった霊も合祀されてしまうことを問題視していた。中野孝次が、戦後世代が戦争を忘却することを警告したとき、大岡は「中野には反対なんだ」と言い、「死者が生者とともに居るのは現実である」と言った。生者が死者を忘れることに対して、「忘れるな」と注意する立場には立たなかった。
ずっと私の気にかかっている「死者の民主主義」(チェスタトン)も、これらと関連するだろう。

もちろん、この劇の主題はそれだけではない。
厳しいアンティゴネと妥協的なイスメーネーの姉妹の対決は、息詰まるほど面白い。ここにも、ある普遍的な人間の姿が描破されている。

それにしても、こんなに力強い言葉を書いたソフォクレスは天才では無いか。世の中、文学作品はいろいろあるが、ランキングを作ったら、『オイディプス王』『コロノスのオイディプス』『アンティゴネー』が1位2位3位を占めてしまうのではないだろうか。

こんなメモ書き程度の感想しか書けないのが情けない。何度も読み返し、ちゃんと論文を書いた方が良いだろう。
それに、こうなると、エウリピデスやアイスキュロスも読みたくなる。ホメロスすら、まだ読んでいない。ブレヒトの『アンティゴネー』も気になるし、『詩学』を書いたアリストテレスも読んでおくべきだろう。
今さら、自分に残された体力と時間がないことが恨めしく、慌ただしい気分になってしまった。こんな日記を書いているヒマはないのである。

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