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近況報告(10/8)

 この数日で、私にとって、いちばん大きな出来事は、自宅に、医療用のベッドを借りたことだった。まさに、寿命が延びるような一大イベントであった。
 足腰の力が抜けてしまっているので、ボタンひとつで頭や足を上下できるのは、ほんとうに助かる。
 数年来、入院中はこの手のベッドのお世話になっていたわけだが、からだがいよいよ動かなくなってこのベッドのありがたみが骨身に沁みてわかった次第。足が上下できるということが、これほど寝苦しさを改善してくれるとは。
 ボタンで動くことだけでなく、しっかりした柵がついていて、立ち上がるときの手すりになることも、大きい。これまでは人の手を借りないと、トイレにも行けなかった。
 それ以上にびっくりしたのは、高反発マットレスの効果である(……なんか、通販の宣伝めいてきた)。これまで、ふかふかの布団に包まれていれば楽なのではないか、くらいの認識でいたが、全然違う。
 筋肉の落ちた病人は、寝返りひとつ打つのにも一苦労しているわけで、その労力が、マットレスがちゃんと反発してくれるだけでかなり軽減されるのだ。寝転んだだけで、世界観が変わるかのような衝撃を受けた。
 寝苦しい日々を過ごしていたが、とりあえずしばらくは、安眠、熟睡できそうである。ほんとうにありがたいことである。

 体調そのものは、一進一退という感じで、変わり映えしない。足の痛みは増している。体調の良いときに、2人の友達と電話できたのは、よかった。
 あと、「和菓子を食べたい」と言ったら、母が駅で薄皮まんじゅうを買ってきてくれたのだが、これがしみじみとおいしかった。味覚が繊細になってると言っていいのか、いや、むしろ鈍くなってるのだろうが、ある程度濃い味だと、もはや何を食べてもよくわからない印象しか受けない。しかし、このまんじゅうの味だけは鮮明に感じられて、ちょっと涙が出るほどおいしかった。

 最近読んだ本。

①『東と西のはざまで』大岡昇平、ドナルド・キーン(朝日出版社)
②『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ、里見元一郎訳(講談社学術文庫)
③『川柳でんでん太鼓』田辺聖子(講談社文庫)
④『朝の影のなかで』ホイジンガ、堀越孝一訳(中公文庫)

 ①は、『大岡昇平全集』に入っていない対談。アメリカ人キーンほど日本文学を知らないことを、日本人作家として恥ずかしく思う、と言いつつ、大岡が謙虚に話を聞いているのが良い。当たり前のことのようだが、知ったかぶらずに、自分が知らないことをはっきり述べる大岡の姿勢によって、読者も、わかった気になっていた日本文学史について自分がいかにわかっていなかったかという新鮮なショックを受けることができる。
 明治文学というと、すでに歴史的事実としてしか受け取ることができないが、そんなことはなく、いまだにアクチュアルな問題として、ある意味手をつけられないまま残されているとも言える。そんな歴史の見方が、実作者大岡昇平の存在によって実現されている一冊。
 終盤、ドナルド・キーンが自分の日本名を披露するところのやりとり。

キーン 鬼怒鳴門です。
大岡 こりゃ傑作だ。
キーン 恐ろしい名前です。

 ②を読んだことについては、電話した友達に、それぞれ話した。それくらい、私にとっては重要な読書だった。
 ホイジンガは「遊び」という概念によって、「まじめ」と「ふまじめ」が区別されない、虚実あいまいな領域を指し示す。この遊びの精神こそ、私個人が、これまで本を読んできて学んだことの核心ではないかと思った。
 最近も、ホメロスを読んで、古典の面白さを知ったが、ホメロスを読んでいなければ、ホイジンガの言っていることもそんなにピンと来なかったかもしれない。
 ホイジンガはギリシアの古典だけでなく、ベオウルフ、マハーバーラタ、エッダ、カレワラなどさまざまな古典を参照している。哲学の歴史や西洋美術史全体も、視野に入っている。当時新鮮だったであろうマリノフスキーやモースの研究に負うところも大きい。雑駁で、ツッコミどころも多そうなホイジンガの本の良さは、こうした本への通路が開かれているところだろう。
 長い時間をかけて、掘り下げていく余裕があれば、という気持ちにさせられる。

 ③は、田中美津さんの本で紹介されていたので、読んでみた。
 ホイジンガを読んだから、というわけでもないが、これを読むと、今まで私が思っていたよりも、「文学」の領域はもう少し広いのだなと実感させられる。川柳というジャンルの面白さは、最初から自らを、他のジャンルより「低俗」なものとして規定しているところだろう。
 プロレタリア川柳をつくった鶴彬など、私はたまたま別の本で知ったが、本書によって知った人も多いだろう。田辺聖子が書いているように、鶴彬のような作家が平野謙『昭和文学史』にすら載らなかったのはやはりおかしいと思う。
 一句一句に対する、田辺聖子のコメントを読んで、人間の生のすばらしさを痛感させられる名著。
 川柳作品そのものでは、やはり田中美津さんも引用していた、「反骨の猿で前歯が欠けていた」がいちばん好きかな。

 ④ナチスの台頭などについて、時代の風潮を「ピュリリスム」と名づけ批判したホイジンガのエッセイ。『ホモ・ルーデンス』より先に発表されている。
 ピュリリスムというのは、要は「小児病」ということである。「遊び」には大人の余裕があるが、現代ではそれが捨てられ、単に子供っぽい性格が世の中を支配しているという。
 子供っぽさと遊びは違う。ホイジンガの主張としてはそれだけなので、どうも切れ味は悪い。
 ただ、やはりホイジンガの良いところは、古典をアクチュアルなものとして読めているところだろう。この姿勢には、人文系の本の読者たちを励ますものがあると思う。
 面白かったのは、英雄について述べたところ。

 英雄の概念はここ(引用者注:ニーチェの思想の大衆化)に大きく変貌し、人を当惑させるのである。その深奥の意味はみうしなわれた。この英雄という栄誉の名辞は、レトリックにおいては生者に対しても与えられることがままあったにせよ、基本の考えにおいては、聖人ということば同様、つねに、ただ死者に対してのみ向けられてきたのである。それは、生者から死者に対して送られる感謝のしるしであった。戦いに赴くのは、英雄になろうとしてのことではなかった、義務を果たそうとしてのことだったのである。

 ただ、全体の感想としては、公平を期すためには、この本でホイジンガに批判されている、マンハイムやシュミットを読む必要があるだろうなという感じだった。

 

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