中村光夫の「紋切型」(9/11の日記)
土曜日。曇りときどき雨。蒸し暑い。
午後に起床。夕飯はネパール料理屋から、カレーやナンの出前をとり、珍しく豪勢だった。かなり食べ残したので明日もカレーだ。
中村光夫『憂しと見し世』(中公文庫)を読む。
『今はむかし』(中公文庫)に続く回想録。中村光夫はすぐれた批評家だが、特に私は、大岡昇平と交流のあった人物として関心がある。
1939年から敗戦までを記した本書に大岡は登場しない。だいたいこの頃、大岡は神戸にいて、のちフィリピンに出征した。
代わりに、というわけでもないが、河上徹太郎や、例の「近代の超克」座談会や日本文学報国会に関連する記述を、面白く読んだ。文学者たちの、いわゆる、時局に対するさまざまな身の処し方が読める記録である。
中村光夫自身は筑摩書房の社員として『ヴァレリイ全集』の出版に携わったりしている。『今はむかし』では、夭逝した中原中也との邂逅が印象的に描かれていたが、こちらには中島敦が登場する。
中島敦のいかにも「文学」らしく、端正に完成された短編を軽蔑していたが、中村の評価を読んで、読み返す気になる。
ほかに中村光夫は戦時下の慰安となった本として、エミール・マールを挙げている。
笑ったのは、志賀直哉を訪ねる場面。志賀は、
ともかく東条をやめさせなければいけないと力説されましたが、その調子が雇人でも解雇するようなのを面白く思いました。
文庫版の解説を、蓮實重彦が書いている。
蓮實は、中村光夫の「紋切型の慣用句をあえて使用する」文体が、平凡な人々の言動を「鮮明に浮きあがらせる」ことを指摘し、それが彼の翻訳したフローベールの影響ではないかと述べている。中村光夫によるカギ括弧の使用が、フローベールのイタリック体の使用に対応しているという。
『憂しと見し世』一篇は、玉音放送の場面で終わる。
「群長さん、今夜から電気を明るくしていいですか。」放送が終ってしばらく沈黙がつづいたあと、ひとりの奥さんが訊きました。
「さあ、いいでしょう。もう『平和』になったんだから。」僕は答えましたが、この使い慣れない言葉に舌が少しもつれる気がしました。
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