見出し画像

戦士のモラル(9/13の日記)

 月曜日。
 右足が痛いので、ほとんどベッドから起きられない。飯も横になりながら食べる。母が作り置きしてくれた、たらこおにぎりなど。

 『ロランの歌』(有永弘人訳、岩波文庫)。
 12世紀フランスの武勲詩で、フランス文学史には一冊目として登場する名前である。
 最近、『ブヴァールとぺキュシェ』を読んだのだが、批評家レミ・ド・グールモンは、これを『ロランの歌』に比肩しうる作品と読んだという。もちろん、『ロランの歌』が誰もが認める名作だからこういう賛辞が成り立ったわけで、順序は逆なのだが、『ブヴァール』を読んで感動した私は、こちらも読んでみることにした。

 この作品は、一般に、キリスト教VSイスラム教という雄大な構想、無駄のない巧みな場面構成などが評価されているようだ。
 現存する武勲詩は83篇あるそうだが、その中では、最も簡潔で、完成度が高いのだろう。
 ただ、無責任な一読者としての感想を言うならば、戦場描写の単調さ、大仰な修辞や、血なまぐささには辟易した。
 内容としては、フランク王国がスペインに攻め込み、異教徒を殺戮するだけの話で、そもそも戦争には「キリスト教」という旗以外の大義がない。異教徒の将軍の野蛮さを強調する句が頻発するのも、裏切り者が手足をそれぞれ別の馬につながれ引き裂かれるというのも、いかにも野蛮な感じだった。
 詩の結末は、戦争を終えてようやく眠りについたシャルルマーニュのところに、天使がやってきて「シャルルよ、軍を召集せよ!」と新たなる戦争の勃発を告げる場面。シャルルは「やれやれ」と涙を流しながら次の戦争の準備をする……これはちょっとユーモラスとすら言える。
 面白かったのは、やはり、当時の戦士たちなりの美徳が感じられる箇所だ。主人公ローランは、二度、誤ちを犯す。
 一度は冒頭、シャルルマーニュに、敵の和平交渉を罠であると退け徹底的に戦うよう進言するところ。罠がある、というこの判断は、結局、間違っていたわけだが、そのことは詩の中で追及されない。
 もう一つは、戦場で笛を吹いて援軍を呼ばなかったこと。この判断も、のちに撤回され、結局、大勢の味方の死の後で、ローランは笛を吹く。これは戦争全体を左右した、重大な判断ミスだろう。しかし、それを後悔するローランの独白はわずかに見られるものの、大きな失敗として取り上げられることはない。
 これらは、そのときその場の行動の「誠実さ」のみにおいて人物を評価しようとする、いかにも武士らしいモラルのあらわれと言えよう。
 悪役のガヌロンも、「裏切り」という行為一点において非難されているが、それ以外では、むしろ勇猛果敢な将軍のひとりとして讃えられている。悪事がシャルルマーニュらに露見したあとも、裁判の結果処刑されるまでは、堂々と発言し続ける。
 また、王であるはずのシャルルマーニュが、絶対的な権力者として登場しない。判断を一度臣下に問うた以上、シャルルマーニュの一存では決定できず、多くの諸侯たちの賛同を得た意見が採用される。裏切り者ガヌロンなど、シャルルマーニュがそれに気づいた時点で殺害してもよさそうだが、裁判と決闘による判決が出るまで、誰も手出しすることはできない。
 これは史実そのままというより、詩が作られた時代環境の権力観を示すものだろうが、いずれにしても興味深い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?