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積読本が話せたら

皆さんの家に積読本(読まずに積んである本)はありますか?

私の家にはあります。

自分が読みたくて買ったはずなのに、あれよあれよと時間が経ち、買ってから数年経っている本もあります。
一時期は40冊くらいあったのですが、整理したり一気に読んだりして、今は20冊程度になっています。

積読したことがある人なら理解いただけると思いますが、積読本からプレッシャーを感じることがあります。

もし積読本が話せるのなら、
「いつ、私のことを読んでくれるの?」
「読みたいから買ってくれたんじゃないの?」
と言っているんだと思います。

そのプレッシャーを感じるたびに、
「早く読んであげなきゃな」
と思うんです。

思うんですけど、なんとなく気が乗らなかったり、途中まで読んでるのに新しい本に目移りしてしまったりしちゃうんですよね。「今読んでる本を読み終わったら…」と思っても、そうしている間に気が変わっちゃうということなんて多々あります。

なので、私は今20人(冊)の本に「いつ読んでくれるのよ!」と詰められている状況です。
けっこうな修羅場です。

ですが、積読している歴が長い私にとっては、そんな積読本のプレッシャーにも慣れてしまって、積読本が増えることにさほど罪悪感を覚えなくなっています。

現実には、本は話したりしませんし、感情もありませんので、私のように数年放置していても本に愛想をつかされるということはありません。

ただ、日本には「八百万の神」という言葉があり、あらゆる物に神が宿るという考えがあります。それはもちろん本にも。

本は情報や物語を書き手から読み手へと運んでくれるものです。そして、その情報や物語は読まれて初めて意味を持ちます。

だから、本にとっては誰かに読まれることが何よりも大切で、心待ちにしていることなんだと思います。

もし、本棚で急にパタンと本が倒れたら、それは積読本が「読んでほしい」と言っているのかもしれませんね。