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○○中心の生活

先日、よく使うドラッグストアとLINEで友達になりました。ああいうお店系のアカウントは、定期的にお得な情報やクーポンを配信しますが、私が友達になったところも例にもれず配信してきます。

ある日「本日はLINEの友達は10%オフ」のクーポンが配信されました。その時、「何か必要な物はあったのかな」と考えている自分に気づき、少しぞっとしました。このクーポンを見るまでは、家の日用品の在庫のことなんて全く考えていなかったのに、クーポンが配信されたことで必要な物を考えその店に買い物に行くマインドにさせられたからです。

こういう広告や情報発信は、本当に必要なものに気づかせてくれたり忘れていたことを思い出させてくれたりという良い面もありますが、発信者側の意図どおりにコントロールされてしまうという面もあります。

情報の受信ツールとして一番使われている代表が、肌身離さず持っているスマホだと思います。SNSやチャットアプリから常に通知が来て、暇さえあればスマホを見ている人も多いのではないでしょうか?

便利で私たちの生活を豊かするために使われるスマホですが、いつの間にかスマホに振り回されている、スマホ中心の生活になってしまっています。

ベストセラーとなった「サピエンス全史」ではこのような文章があります。

歴史の数少ない鉄則の一つに、ぜいたく品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、あるぜいたく品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。

こういう風に生活を振り回されるのは、何もスマホのような文明の利器だけではありません。例えばペットもそうですよね。かわいいペットのために家を引っ越すだとかライフスタイルを変えるというのは一般的に行われています。前述の「サピエンス全史」では、小麦が人間を支配していたというような記述もありました。ざっくり言うと、「小麦は自分たちを育てさせる、繁栄させるために人間を使った」とのことですが、農家さんの生活を聞くと確かに農業中心の生活となっているなと思います。

彼らが望んでそういう生活をしているのであれば何も言うことはないのですが、知らぬ間に何かにコントロールされているというのはちょっとまずいかなと思います。

自分の人生を生きるためにも、自分は何中心の生活になっているのかを考えてみる必要があると思いました。