ドラえもん映画『のび太の月面探査紀』レビュー・考察
見るだけ見て半分くらい書いて下書きに入れて終わりの記事が、溜まっている…。
ということで今回はできるだけ鮮度の高い、現在も公開中の『映画ドラえもん のび太の月面探査紀』について。
ドラえもんの映画を見たのはなん年ぶりだろう。
今作で39作目だという映画ドラえもんシリーズ。個人的な視聴の決め手は予告編の美しさだった。
雄大で美しい月をはじめとする宇宙空間、うさぎ王国の絢爛たるファンシーな世界観、音楽・主題歌もセンスがいいし、全体的に一種の風格ともいうべきものが漂っている。
特に予告編2の冒頭のドラえもんの台詞に心を射抜かれた。
「昔、月の裏側には文明があると言われてたんだ。人類の歴史は異説が切り開いてきたようなものだよ。」
異説?!ハードSFっぽいな!?いずれにせよ「人類の歴史は異説が切り開いた」ってかっこよすぎるのでこれは観よう!と思って子供達に囲まれながら映画館に足を運んだ結果…
ううん、これはハード…!!
まず、予告編の通り、作品のクオリティ自体は非常に高く、久しぶりに見た「ドラえもん」に十分感動することができた。
映像自体の美しさ、面白さも相当に高い完成度で、監督の八鍬さんのことを知らなかった僕は「こんな人がいたとは!?」と驚くばかり。
ちょっと調べてみたらどうやらドラえもんシリーズ生え抜きの監督のよう。そりゃ知らないわと思いつつも、ドラえもん恐るべし。
さて、評価が難しいのは脚本、及びこの作品のテーマの「異説と定説」の関係をどう解釈するかだと思う。
ということで、今回は自分なりに考えたことを考察という形でまとめてみる。
以下、一部ネタバレ含みますので、神経質な方はここで戻るボタン!
今回活躍するのは「異説クラブメンバーズバッジ」というひみつ道具。このバッジをつけているメンバーは異説とされた論説の世界に行くことができるという代物だ。
例えば、天動説は正しい!と言えば、そのバッジを装着しているメンバーは天動説の世界を体験することができる。
そしてドラえもんが「異説クラブメンバーズバッジ」の説明の中で異説として紹介するのがその天動説。この天動説が間違っていることはのび太でもわかる通り、現実と異なる論説、まさしく異説である。ただしドラえもんの説明はそこでは終わらず、天動説はかつての定説であったことにも言及する。
つまり、現在では地動説が正しいことは常識だが、昔はこちらの方が散々バカにされた異説だったと。そして、現代はガリレオの地動説のような時代を先駆ける異説によって科学が進歩しているんだとドラえもんは述べる。
そして今回のび太達は「月には文明が発達する環境が整っている」という過去の論説、つまり現在の"異説"を「異説クラブメンバーズバッチ」で真として、月には空気や水が存在する"異説世界"で月のテラフォーミングを始める。
ちなみにこのテラフォーミング、きちんと科学的な考証が行われているようで、まずは苔類から移植するなど(苔は厳しい環境でも自生し、酸素を生み出すことができる)、現在も実際にNASAで進行中の火星のテラフォーミング計画を踏襲して行われていくのは面白い。
そこでドラえもんとのび太は、名前は失念したが、適当なひみつ道具でうさぎを生み出して月の裏側はうさぎ王国として発展して行く。
そして一旦地球に帰ったのび太の前に登場するのが転校生のルカ君だ。
このルカ君、実は遠い宇宙のかぐや星から亡命してきた異星人という設定。しかも彼はかぐや星のオーバーテクノロジーで生み出された不老不死・超能力も備えた生命体で、彼をエネルギー資源として利用しようと目論む「かぐや星」のボスから追われる存在らしい。(それにしてもショタコン垂涎のかわいさでゎ…??)
そんなルカ君と友達になったのび太は「異説メンバーズバッジ」を彼に分け与え、月のうさぎ王国で親交を深めて行くが、その途中、ルカ君はかぐや星の軍人に拉致られてしまう。結構えげつないストーリー笑
ルカ君奪還のためにかぐや星に決死の覚悟で乗り込むのび太たちだったが、悪の軍勢に一歩及ばずマジで死の危機に直面してしまう。そんな時、うさぎ王国の仲間たちが助けに来てくれるのだが、ここに一捻りある。
というのも、うさぎ達は「異説の存在」だったはずだ。
つまり、うさぎ達は本来は「異説メンバーズバッジ」をつけていない人には見ることもできないし、干渉もできないはず(要するにかぐや星の軍勢と戦うことができない)で、そんなうさぎ達がのび太達を助けにやってこれたのはとある天才うさぎが「定説バッジ」なるものを開発したからだった。
ここで異説世界は自身で発達させた科学技術によって定説世界に追いつくことになる。
しかし、この「異説→定説」の関係は「天動説→地動説」の関係とは異なる。
何故なら、地動説は「以前は偽、しかし現在では真」である一方で、月に関する異説は「以前は真、現在では偽」であるように、その論理関係は完全に逆行しているからだ。
もう少し噛み砕けば、地動説は時代の変遷の中でその正当性が証明されることにより定説の地位を得た一方、月の異説世界はその誤謬性が時代の変遷に伴って科学的に証明されている状態、言うならば完全に誤説であって、それは現代における天動説のような立場のはずである。
つまり、異説世界の住人のうさぎが「定説バッジ」を作って定説の世界に干渉できるようになるということは、異説と定説の関係がメビウスの輪のような向き付け不可能なパラドックスを孕むことになる。
しかし、この逆行関係こそがこの物語の重要なひとつのテーマなのではないだろうか。
そのキーマンは、定説バッジを発明する天才うさぎの存在だ。
↑眼鏡をかけているのが天才うさぎ
「定説バッジ」を開発する天才うさぎは普段から自分で開発した自動車で移動しているのだが、この自動車、何故か逆走しかできないようになっており、ハンドル操作すら左右反転する始末である。
つまり、天才うさぎは常に逆行する概念を発明する存在なのだ。
そしてこの天才うさぎは、僕たち「大人」の立場を代表する存在なのではないかと思う。
この天才うさぎ、そもそもは失敗作のような存在で、のび太が与えた眼鏡がないと世界を見ることができない。そしてその眼鏡は非常に度が強く、世界が歪んで見えるほどのシロモノだ。
その眼鏡をつけたのび太が「本当は眼鏡は世界をよく見えるようにするためなものなのにね」と笑うシーンがあるが、その眼鏡こそ定説世界、つまり凝り固まった常識の世界から異説世界に持ち込まれた恐らくほぼ唯一の装置であり、道具だった。
その眼鏡を通して天才うさぎが全てを"逆行"させることにより得る成果、つまり、素朴な空想として過去のものになった異説世界を定説(現代)へと繋ぎ、その世界を救うことができるのは、大人になるにつれ定説を常識とし凝り固まった世界に生きるようになった我々「大人」も、そんな常識を破ることができる可能性を示唆するのではないだろうか。
そしてこの物語はかつて我々が抱いた異説への憧憬が持つ可能性を積極的に肯定し、我ものび太たちのような子供たちと新しい世界を切り開くことができる!というメッセージなのではないだろうか、、、と考えると、なかなか胸熱。
まとめると、「異説→定説」とは、異説が時代を先駆けるサイエンスとしての可能性を秘めることを意味するが、異説の可能性はそれだけではない。
異説と定説の中でもっとも大切なのは、かつてガリレオが投獄されながらも地動説を説いたように、異説へと向かう姿勢と勇気、そして作中で何度も強調される想像力だと、ドラえもんはそう言いたいのではないだろうか。
我々は積極的に異説へ"逆行"していいのである。
しかしこの映画、ぼーっと見ていても面白い一方で、ハード過ぎる。笑
実際、周りの子供たちもあんまりストーリーの流れを掴めないようで、隣の親に「これで終わり??」と問いかけるなど、少々置いていかれていた感があった。
恐らく子ども達がついてこれなかったのは内容のロジカルなハードさだけではなく、かなり詰め込み気味の展開だった事も関係しているだろう。
本作は117分と長編アニメーションとしてもギリギリの長尺となっている上に、展開もギチギチでラストシーンを匂わせるような物語上のミドルウェーブが何回も到来し、つまり物語の小プロット内でもしっかりと起承転結、もしくは序破急が繰り返されていて、その延長にエンドがあるので普通に重い笑
とはいえ非常によくできており、かなり直接的なネタバレになるため今回は触れなかったが、異説定説の関係もラストシーンまでしっかりもつれ込む、なかなかスリリングな力作なのは間違いないし、何よりエモい。
大人でもじっくり楽しめる一作だった。
どうやら去年の『ドラえもん のび太の宝島』も映画ドラえもんの興行記録を数十年ぶりに更新した傑作だったようなので、そちらも見てみたいなぁと思う。
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