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隅田川を走る。仮想現実を走る。

以前、こんな記事を書いた。

すると、ありがたいことにPLANETS CLUB ランニング部の方々からコメントや反応を頂けた。(みなさんありがとうございます!)

頂けた反応の中で、嬉しかったのが記事内で触れたそれぞれの川について書いて欲しいといってもらえたことだ。
ということで、しばらくはそれぞれの川をメインにして書いていこうと思う。


初回は、今一番身近にある隅田川。はっきり言おう。この川は私のfavorite川であると。

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こう言うと語弊があるかもしれないか、私は自然というものが得意ではない。緑に囲まれた土地というのは、時折触れる分には癒しを感じられてとても好きなのだが、そこにずっと留まるとどうも居心地の収まりが悪くなってくるのが私の性分だ。(このことも別の記事で書きたいな)
物心ついた頃に住んでいた場所が大通りに面していて、その大通りを車と並走しながらコンビニやスーパーの列をわき目に徒歩5分歩けば地下鉄の駅に着くような、ありとあらゆるものが人工的に統御される場所だった身からすると、緑豊かな自然の環境というのは全く自然ではなく、むしろ滅多にお目にかかれない環境なのだ。そんな非日常の中で落ち着くという感情を得ることはなかなか難しい。

さて、そんな前置きをしてからの隅田川である。なぜ、この川が好きなのか察しのついた方もいるのでは無いだろうか。
そう、この川は自然では無い環境にある川なのだ。
我が国の中枢から数キロしか離れていないこの川は、移動や物資の運搬のために江戸の発展とともにどんどん人の手が加えられ、近代化とともに工場が並び、護岸工事が行われ、高速道の整備などの高度成長期を経て今の姿に至る。

そんな日本の中心を流れる人工的な川を走ることの魅力とは何か?
それは仮想現実を走ることだと思う。

私の敬愛する作家に伊藤 計劃という人がいた。その人がメタルギアというゲームを論じた際にこのようなことを言っていた。

「すべてが数えられ、予測され、制御しうるとき、その世界とは一体なにか」という仮定を突き詰めていった結果、MGS2はこういう結論に達する。それは仮想現実だ、と。人々はすでに仮想現実の中に生きている、という認識。現実そのものが仮想的であるというヴィジョン。

伊藤 計劃. 伊藤計劃記録 Ⅰ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.145-148). Kindle 版.
まわりじゅう全てを人間の手を介した存在に囲まれて暮らすということ。それはつまり、人間の思考の中に生きるということだ。人間にとって予測できず、制御しづらい要素は徹底して排除される。そこでは、バーチャル・リアリティをもちだすまでもない。なぜなら、この世界がすでにして仮想現実なのだから。

伊藤 計劃. 伊藤計劃記録 Ⅰ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.161-164). Kindle 版.


この川を走っているときに目に入る風景。そこから人工物を除外することは不可能だ。北を向けば数本の巨大な橋が視界に入り、奥にはスカイツリーが聳え立つ。南を向くと佃島あたりの殿上人のタワマンが見える(そもそも佃島自体が江戸時代に作られた人工島だ)。この空間は人工物に満ちている。徹底的に人工物で満たした空間を走るとき、伊藤 計劃の言葉を借りるならば私は現実という仮想現実を走ることになる。

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だから、この川は時間によって決まった顔を見せる。朝行けば決まった時間にサラリーマンの集団が出社を始めている。ビルの前で仕事前の一服を決め込む会社員たちを見かける。それがこの川の朝だ。

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夜行けば、美しいライトアップに染められて実に見事な夜景を見せてくれる。特に橋のライトアップは見事なものだ。夜走っている人を見かけることも多い。

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しかし、そのどれもが常に予定調和の中で動いている。なぜなら、ここは人工物に満ちた都市の中心であり、人間にとって予測できず、制御しづらい要素は徹底して排除された仮想現実と言えるからだ。

人間は予測できないものを恐れる。曲がり角で身構えるのはその曲がり角の先に何があるか予測できないからだ。将来に不安を感じるのは将来が予測できないからだ。黒沢清の映画が怖いのは、いつ何が起こるか予測できないからだ。しかし、予測ができないというのはこの現実の本質だ。
だから、その恐怖を遠ざけるためには予測できず、制御しづらい要素は徹底して排除される必要があった。その仮想的な空間が都市という空間の本質だ。

都市の極地とも言えるこの川を走るとき、私は常に安心感に満ちている。なぜなら、そこに予測できないものは存在しないから、そしてもう一つ、人工物に満ちている空間とは私が生まれ育った空間だから。

だから、私はこの川の空間の哀愁のようなものを覚える。この予定調和の空間こそ私の故郷なのだ。

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