【短編小説】異星動物園

 食卓に向かっているのは、父親と、母親と、幼いオスの子ども。子どもは他より高い椅子に座ってさじを握りしめており、父親がその口元についた食べカスを拭いてやろうとする……が、子どもが嫌がり、皿をひっくり返す。母親が慌てて立ち上がり、雑巾を取って戻ってくる。スープが服にかかったらしく、泣きわめく子ども。父親はうろたえ、彼を抱え上げてなんとかあやそうと努力する。
「動物の家族愛、見てるとほっこりするよね」
 柵にもたれかかりながら、僕は言った。しかし、隣に立つカミュは飽きてしまったのか、すでに柵の内側は見ておらず、人混みの向こうのレストランを気にしている。
「せっかくの食事シーンなんだから。もう少し見て行こうよ」
 僕は苦笑し、透明な強化パネルで四方を囲われた特殊な檻の中に視線を戻した。スープを拭きとる母親。子どもを揺すったり、表情を巧みに変えてみせたりする父親。
 透明なパネルには、「ホモ・サピエンス(地球)」と書かれた札が貼ってある。
「それ、何度も聞いたよ。『オスが運動を始めたから、もう少し待って』とか『メスが子どもと遊んでいるから、もうちょっと観察しよう』とか」
「これで最後にするからさ」
「まあ、それならいいけど」
 カミュは納得してくれたようで、また僕の傍らに寄ってきた。
 僕のいる研究所には、残念ながらまだ地球動物は飼育されていない。クローンが出来上がるまでは、こうして動物園で観察するのが一番だ。食事風景、親子の遊び、そして喧嘩――いろいろな行動を観察してきた。ただ、交尾は夜間に行うらしいので、まだ生で目撃したことがない。
「そうだ、せっかくだから解説するよ」
「え、いいよ、前も聞いたし」
「遠慮しないで」
 カミュは気を遣ってくれているようだが、僕は気にせず、インプラント・デバイスを脳波で操作し、最新の研究データを呼び出した。目の前の動物についての詳細な知識が、勢いよく流れ込んでくる。
「ホモ・サピエンス」というのは人間がつけた名前ではなく、彼らの自称だ。地球という星のほぼ全域に棲息、数百の群れに分かれて互いに争ったり、時には協力したりして暮らしている。まるでジョポジョ(訳注:蟻に似たナタナタ星の生物)のように、進化によって高度な社会性を有する。
 今、僕たちが観察している家族は「日本」という群れの出身らしい。捕獲されたときは雄と雌の二頭のみだったが、この動物園で繁殖に成功し、子どもが生まれた。あの子どもも、おそらく親と同じ言語を操るようになるのだろう。日本語――数千種の文字を使い分けねばならない、非効率的な言語だ。もしかしたら、言語が洗練される途上にあるのかもしれない。とても興味深い――。
 僕はそれらを、順々に読み上げた。
「……生態は大雑把に言うとそんな感じ。核融合を利用した、原始的な武器も発明してたんだって」
「ふぅん」
「遺伝子の操作も少しはできるらしいけれど、ほとんどの個体は有性生殖でDNAをランダムに混ぜ合わせるみたい。偶然に頼っているから、進化はとても遅い」
「へぇ」
 カミュは曖昧に返事をした。退屈な思いをさせてはいないだろうか。話が簡単すぎて、飽きてはいないだろうか。僕が心配して、真新しい情報がないか検索。すると、彼女は唐突にポツリと言った。
「少しかわいそうじゃない?」
「えっ?」
「だって、こんなところに閉じこめられて」
 カミュは透明パネルの中をじっと見つめている。パネルは、檻の内部をいくつもの部屋に仕切っており、中に簡易的なイスとテーブル、トイレまで備えている。動物の檻としては、かなり恵まれていると言えよう。
 それに……。
「宇宙生物学者たちが、なるべく元々の巣に近い環境を再現してるはずだよ」
「でも、自由がない」
「自由、か。そこは、たしかにそうだね」
 僕は頷いた。透明パネルの内側では、ホモ・サピエンスたちが食事を終え、エサの容器を律儀に重ねている。メスの個体がそれらをまとめて、壁に空いた穴に投入する。オスの個体が、我が子に何か話しかけている。子どもは大きな丸い目を動かし、キョロキョロしている。観客が気になるのかもしれない。
「かわいい!」
 母親に連れられた女の子が、ホモ・サピエンスの子どもを指差しては、柵に手をかけてぴょんぴょんはねている。どうやら、インプラント・デバイスで写真を撮ろうとしているらしい。何度も失敗した末、母親に抱きかかえてもらって、彼女はようやく落ち着いて撮影することに成功した。女の子は笑顔で、次の檻に向かってスキップで行く。
 カミュの言う通り、ああした人間的な意味での自由は、ホモ・サピエンスたちにはない。彼らは知能もそれなりにある動物だから、ストレスがたまることもあるだろう。
 他の動物園では、猫や犬、鼠、あるいは馬や豚といった地球動物と同一の檻で飼育する試みもなされている。ただし、あまり大きすぎる動物や、小さすぎる動物と一緒ではうまくいかない。ホモ・サピエンスは極端に体が弱いため、捕食されたり、病気になったりしてしまうのだ。また、多くのホモ・サピエンスは地球ではゴキブリという生物と同居しているのに、同じ檻に入れると悲鳴を上げたり、逃げ回ったりするのも興味深い。
 僕たちの知らないストレス要因は、まだまだたくさんあるのかもしれない。
 しかし、だからといって不自由と不幸とを無条件に結びつけるのは危険だ。
「自由はないかもしれない。けれど野生のままでは、自分でエサを確保しなきゃいけない。たとえば『日本』という群れの中では、それぞれの構成員には過酷な仕事が与えられて、時には疲労で命を落とすこともあったらしい」
 僕はまた柵にもたれかかり、そう説明した。ホモ・サピエンス三頭は、身を寄せ合ってじっとしている。あんなことをしなくても、この場に危険はないというのに。野生で生き抜くための本能だろうか。カミュはそれを見て、物悲しげに言う。
「自由な死か、牢獄の生か。自然界は厳しいんだね」
「そう。危険におびえた暮らしをするより、こうして安全な檻の中で、飲み食いに不自由せずに暮らす方が、幸せかもしれないよ。健康管理も行き届いて、長生きできるし」
「そうなのかな」
「いや、どっちとも言い切れないけどね。とにかく、人間の価値観を押し付けるのはよくないってこと」
「真実は、その星の動物しか知らないってことだね」
「うん、まあ……そうだね」
 僕は少し言葉を濁した。僕自身、偉そうに講釈を垂れているとはいえ、地球に行ったことがあるわけではない。当然、彼らを完璧に理解できるはずはないし、それどころか、彼らの欲求に関しては何一つ断言できない。それはおそらく、大多数の研究者にとっても同じこと。
 僕たちは多分、動物を苦しめている。
 けれど、宇宙生物学の発展のためには、きれいごとだけを口にするわけにもいかない。今こうしている間にも、実験室でさまざまな動物が苦しみ、次々に死んでいる。同時に、犠牲のおかげで生命の謎が解明され、それが巡り巡ってどこかの誰かの命を救う……。
「さて、待たせちゃって悪かったね」
 僕は努めて明るい声を出した。ホモ・サピエンスに背を向けて、まだ何か言いたそうなカミュの腕を取る。レストランの方へ歩き出すと同時に、予約サービスにアクセスして席を確保した。
 背後で、ホモ・サピエンスの子の鳴き声が聞こえた。

 あのホモ・サピエンス親子が動物園から脱走したと知ったのは、その数日後だった。職員は当初、無傷で捕獲するために努力していたが、親子が無人宅配車を襲って食料を強奪すると方針を変更。人的被害が出る可能性を考慮し、やむなく警官隊に出動を要請したのだ。親二頭はトンネルの中で発見され、無事に射殺された。子どもの方も間もなく見つかったが、こちらは貴重なサンプルとして、研究施設へ送られることとなった。
(彼らは、自由な死を望んだということか……)
 寝床に体を横たえたあとも、僕は一人、暗い天井を見つめ続けていた。カミュの寝息の他は、何の音も聞こえない。
 一番の問題は、何だったのだろう。巣の構造か。それとも衆人環視がストレスになったのか。餌の味が悪かった可能性もある。先ほど飼育員と通話してみたが、原因は分かっていないようだった。
(地球の環境についての専門家の不足……。地球……地球か……。いくら勉強したといっても、僕もデータでしか知らない世界……)
 僕は心の中でつぶやき、チラリと隣に目をやった。カミュはすやすやと、何の悩みもなさそうに眠っている。
 地球。
 一番速い時空船を使えば、たしか片道一年だったか。
 僕が行かねばならない理由はない。
 けれど、僕が知ってはならないという理由もない。
 彼女を説得する方法を、考えておかないと――。

 ――以上、ナタナタ星人の標本・甲の日記より抜粋し、日本語に翻訳。
   剥製化し、臓器は保存済み。