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本当の「沖縄の魅力」に迫る歴史探検の旅① 【沖縄のあけぼの】

さあ、いよいよ沖縄の歴史探検のはじまり。
沖縄の土地がどのようにして形作られ、どのように人々の生活が始まり、そしてどのように発展してきたのか。
順を追ってなぞっていくと、そこには壮大なロマンあふれる世界が広がっていきます。

【シリーズ"沖縄の歴史"】
本当の「沖縄の魅力」に迫る歴史探検の旅へようこそ【⓪導入編】
本当の「沖縄の魅力」に迫る歴史探検の旅②【自然と調和した奇跡の楽園】

1.この地はいつ誕生したのか?

せっかくですから、思い切って地球の始まりまでさかのぼってみましょう。
地球は46億年も前に生まれ、44億年前には大地と海が、38億年前には初めての生命体(単細胞の菌類)が誕生したと言われています。生命は絶滅や進化を繰り返しながら豊かな生態系を地球上に展開し、大地は約4億年ごとにくっついたり離れたりを繰り返しながら現在の世界地図を形作ってきました。

大地の形成には「プレート移動」と「氷期ー間氷期サイクル」という地球そのものの生命活動がカギを握ります。沖縄の島々もまた、地球のプレート運動によってゆっくりとその原型が形成され、約1万年前に始まった間氷期(氷期が終わって訪れる温暖な時期)に海水面が上昇することで現在のような島々の姿が出来上がりました。太古の昔から、日本やユーラシア大陸と陸続きになったり、孤立を繰り返したりする中で、大陸から渡ってきた生物が島という環境に取り残され、独自の進化を遂げることで、ユニークな自然環境が育まれていったのです。

左:1500万年前、右:150万年前(沖縄県HPより)
左:100万年前、右:10~2万年前(沖縄県HPより)

人類の進化をたどってみると、700~600万年前に初めて直立二足歩行の種が生まれたと言われていて、200万年前ごろから、道具として石器を使い、火をおこしたりすることができる「原人」が現れます。氷期の厳しい環境を生き延びた祖先は、30万年前ごろ、言葉をあやつる「ホモ・サピエンス」へと進化を遂げ、ついに1万年前には、磨製石器や弓矢など精巧な道具を開発し、農耕や牧畜などの技術までも手に入れた「新石器時代」に突入するのです。そこから、8000年前には集団生活が発展して都市国家を形成するようになり、5000年前に栄えた「メソポタミア文明」や「エジプト文明」とった古代文明の誕生へとつながっていきます。
つまり、沖縄の島々が現在の姿になった1万年前というのは、決して想像もできないような太古の昔ではないということ。長い地球の生命活動の単位で見れば、今もなお大地は変化を続けているということです。むしろ面白いのは、現在の島々が形作られるよりも、さらに数万年も前に、私たちの祖先がすでにこの地で生活していたというのです。

2.3万年以上も前から沖縄で生活していた人々

沖縄でいつから人々が暮らし始めたか、正確なことは今でもはっきりしませんが、島々が形成される1万年前よりもはるかに前、なんと3万年以上も前から、すでに私たちの想像以上に高度な生活が営まれていたことが最新の研究で明らかになってきています。有名な「山下洞人」や「港川人」などの名で知られる、沖縄で発見された旧石器人たちです。
例えば、1962年に約3万6千年前の「山下洞人」、1970年に2万2千年前の「港川人」が立て続けに発見され、沖縄が世界的にも大きな注目を集めるようになりました。さらに、2012年に南城市で見つかった「サキタリ洞遺跡」では、貝に着色料を施したアクセサリーや、貝を精緻に加工した釣り針などが発見されました。2~3万年も前に、着色という装飾技術や釣りの技術を手に入れていたというのです。さらに、生活の跡は最も古くて3万5千年も前までさかのぼることができることも確認されました。
ほかにも石垣島、宮古島、久米島、伊江島、さらには徳之島や奄美大島でも、3万年程度さかのぼることができる遺跡が次々と発見されているのです。

1962年那覇市で発見された「港川人」復元像(日本旧石器学会HPより)

はるか3万年以上前の高度な人間生活を私たちに伝えてくれる旧石器時代の遺跡。実は、日本本土ではこうした人骨を含む遺跡がとても少ないのに対して、琉球列島では20か所以上見つかっています。沖縄は、まさに遺跡の宝庫なのです。その大きな理由は、沖縄の島々の地質にあります。答えは「琉球石灰岩」。ユーラシア大陸から流れてくる土砂が沖縄トラフ(海底の深い裂け目)によって遮られ、沖縄の周囲は透明度が高い海となり、石灰岩の元となるサンゴ礁が発達する環境にあります。サンゴ礁や貝殻が堆積してできる石灰岩は、炭酸カルシウムを含むアルカリ性で骨の保存に適しているのです。これに対し、日本本土では火山灰が降り積もった酸性の土に骨が埋まっても長い年月をかけて溶けてしまいます。多くの学術的発見は、沖縄の豊かな環境がもたらした宝物ともいえるわけです。

3.大陸から琉球列島への大航海

最新の科学では、アフリカの南部で誕生した「ホモ・サピエンス」が、30~10万年前をスタートに、次第に世界各地へ広がっていったと考えられています。だとすると、3万年以上前から生活の痕跡がある沖縄にも、それより前に、大陸から人々が渡ってきたと考えなければなりません。一体私たちの祖先は、どのようにしてこの地にたどり着いたのでしょうか。

どのように移動したのかを考えるのに重要な大前提があります。それは、大陸と琉球列島が陸続きであったかどうか。沖縄の島々が大陸と陸続きであればさほど不思議はありませんが、大陸から離れて海に囲まれてしまってからの移動となると、精神的にも物理的にも、極端に難易度が上がってしまうからです。
陸続きであったかどうかを考えるには、いつごろ移動したかが重要です。人類発祥のアフリカからユーラシア大陸への移動が4~5万年前だという有力説を前提にすると、大陸から沖縄に人々が渡ってきたのは、4~3万年前と考えられます。台湾を経て与那国島から徐々に琉球列島につたってきたルートが有力な説となっていますが、このころ、すでに沖縄は海に囲まれていました。なんと、私たちの祖先は、超高難易度である「航海」によって台湾経由で大陸から渡ってきたというのです。

想定される3万年前の地理と大陸からの渡航ルート(国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」HPより)

こんなロマンあふれる説が最有力となるには、もちろん科学的根拠があります。少々難しい話になりますが、あえてご紹介してみます。
まず、当時人が移動するときには、沖縄は海に囲まれていたのではなく、実は大陸と陸続きだったのではないかという考え方ができますが、これには否定できる根拠があります。例えば、海底地質に含まれるプランクトン化石の分析で判明する当時の地球全体の海水量によると、やはり沖縄周辺はすでに海に囲まれていたようで、琉球列島付近が突発的に隆起するようなプレート活動も確認できないようです。また、当時の生物化石から推測する古生物学的には、各島で異なった固有な生態系が展開されている様子から、島どうしでの種の交配が無く海で断絶されていたことが推測されることも根拠に挙げられます。これは、化石の一部からDNA分析を行う最新の研究によって明らかになってきた事実なんです。

こうしたことから、大陸の人々が沖縄へ渡るには「航海」が必要だとことになるのですが、実はこの「航海」が、まさに超高難易度だったのです。これにもいくつか重要な理由があります。
これまで、台湾から「黒潮」に流されて偶然島々にたどり着いたという説もありましたが、台湾からの漂流だど、強い「黒潮」の流れによってほとんどどの島にもたどり着かないことが最新研究でわかったのです。つまり、台湾から沖縄の島々へ渡るには、意志を持って「航海」しなければ不可能だったということです。
さらに、台湾から最も近い与那国島への航海でも、その距離は100km以上離れている上、島が小さいため、台湾の山の上からわずかに見えても、海の上に浮かべば、50kmほどの距離に近づくまでは目的地が見えない状況なのです。さらには、世界有数の強さを誇る黒潮の流れもあるので、現代の技術無くして「航海」など不可能ではないかと思わせるほどです。それでも、先人たちは海を渡って琉球列島にやってきたことを、科学は示しているのです。

4.「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

3~4万年前の人類が「航海」など可能だったのだろうか?
島が小さくて遠く、世界最大の海流である黒潮が横たわる琉球列島への進出など、はたして可能なのだろうか?
国立科学博物館では、台湾から琉球列島にわたった先人たちの航海を再現する大規模なプロジェクトが実施されました。その名も「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」。草・竹・木などで船を試作しながら、台湾から与那国島への当時の航海を再現実験するものです。これには大きな注目が集まり、2019年にそのチャレンジが成功すると、与那国島には記念碑が建てられました。当時の素材と道具のみで船を作り、星や太陽など自然だけを頼りに実験航海を成功させたのです。

クラウドファンディング「READY FOR」特設ページより(【完結編】国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」)

5.海を渡った先人に思いを馳せる

実験航海を統括した国立科学博物館の海部陽介(かいふ)教授は、ネットメディアでこのように語っています。

ヨーロッパのクロマニョン人は、自然の洞窟を壮大な壁画空間に変え、みごとな彫像を量産していたのに、同時代のアジアにそうした芸術的表現が乏しいのはなぜか?

──謎に悩まされた人類進化学者が行きついた答えは、意外なものでした。人間としての「創造性豊かな活動痕跡」は、アジアにもあったのです。ただし別のかたちで。

その頃アジア大陸の東端では、海の向こうの島へ移住するという、人類史上最初のチャレンジが繰り広げられていました。中でも日本列島への移住は、危険度の点で注目すべきです。

「私たちの祖先が「命がけ」で海を越え、日本列島を目指した理由は?」
講談社ブルーバックス2020.03.02より抜粋

およそ4万年前からヨーロッパで暮らしていた旧石器人「クロマニョン人」は、丁寧に裁縫した毛皮を身にまとい、華麗な装飾品まであしらい、狩りに使う道具も複数の器具を組み合わせた驚くべき発明品を使っていました。さらに目を見張るのが、「ラスコー洞窟の壁画」に代表される美術文化。暗い洞窟の中を「ランプ」で照らして、驚くべき芸術作品を数多く生み出しました。こうした痕跡は主にヨーロッパで多数発見されています。
一方、なぜ同時期のアジアでは同じような生活の跡が発見されないのか?アジアの旧石器人はヨーロッパよりも劣っていたのか?と、海部教授は疑問を抱いたと言います。しかし、その疑問は別の形へと昇華しました。東アジアの先人たちは、「芸術」ではなく、「航海」という最も知的で、野心溢れるチャレンジに挑んでいたことに気が付いたのです。これを徹底的に解き明かそうとしたのが、まさに「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」でした。東アジアから沖縄、そして日本へと渡っていった先人たちは、壮麗な衣服や壁画ではなく、海の向こうに見た夢に向かって、その才能を開花させたというわけです。こうした実験航海やその他多くの研究により、今も私たちの誇らしい祖先の活躍が少しずつ解き明かされているのです。

6.「海」が描き出す歴史のロマン

私たちの祖先は、勇猛果敢な航海者でした。
現代の航海技術を持たない彼らの挑戦は、例えれば今の私たちが、家族や友人だけの力を頼りにロケットを作り、宇宙探索にチャレンジするようなものと表現できるでしょうか。無限に広がる海に向かって挑戦した人たちだけが、沖縄の地にたどり着き、私たちの祖先となったわけです。小さな島が連なる沖縄ならではのロマンあふれる歴史ではないでしょうか。

勇敢な彼らは、今度は、海に囲まれてユニークな進化を遂げた島々を舞台に新たな生活をスタートさせました。それが3万年前にもなれば、数々の遺跡が示すような高度な生活を定着させていくのです。精緻な釣り針が発掘された遺跡からは、カニの食べかすも大量に出土しました。沖縄の豊かな海の幸をほおばる贅沢な生活が目に浮かびますね。今の私たちと同じように、彼らの生活も、海とともにあったのでしょう。

沖縄・久高島の海

海とともに。
やはり沖縄の歴史に「海」の存在は欠かせません。
栄華を極めるときも、衰えゆくときも。いつの時代もそこには必ず、海の織り成す様々な要素が、社会の変化のど真ん中にありました。島に根を張り、次第に繫栄していく沖縄の人々に、「海」がどのように寄り添っていたのか。
次回は、琉球王国時代を築いた「古琉球」といわれる時代の前、沖縄で人々の生活が始まった先史時代へと旅路を進めていきます。どうぞ、次回もお楽しみに♪

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