加古川青流戦振り返り③

前回の続き

※↑注意書きを忘れてましたが、文章が荒いのでご了承下さい。


いきなり突拍子も無いことを書く。

この文章を読んでいる人の中に、「将棋で他人の人生を奪ったことのある人」はどれくらいいるのだろうか。「俺」は2回ある。当日編の文章は、そういう気持ちで読んで欲しいのだ。


1回戦の組み合わせが決まった。目の前に座った相手は、アマチュア棋界についてあまり詳しくない私でも知っているくらいの超有名強豪だった。

実は彼が加古川に参加することは知っていた。ついてないね、なんて言われそうな気さえした。だからこそ、こう思った。


今日の俺はめちゃくちゃ運が良い、勝ち上がったらどうせいつか当たる相手、一発目からフルスロットルでかませるぜ


どうせ下馬評は相手が圧倒的に有利だったとは思う。知ったこっちゃねぇ。油断しようの無い強敵。むしろスイッチが入った。死ぬほど強かったが、結果は幸いした。25分切れ負けのうち、残り時間は相手が44秒、「俺」4秒。


ここで勝てて完全に「キレた」。続く二回戦、三回戦も我ながら良い内容で勝てた。絶好調すぎる。四回戦も名前を知っている強敵だったが、勝ちを読みきれた。ヤバい。今日の俺ヤバい。ただ、間違いなく次が鬼勝負であることも同時に自覚した。


ついに来た。元三段との準決勝。地力では負けている分、絶好調の「ぶっころモード」でどこまで食らいつけるか…。当然、勝ってやるつもりで臨んだ。

戦型は横歩取りと見せかけて、いきなりいちゃもんをつける出だし。修行時代で1番勝ちまくっていた頃に連採した作戦をアレンジし、ソフト研究と現役奨励会有段者の意見も参考に今日の為に練っておいた作戦。咎めに来るなら激しくなる。その変化も当然ハメ手を用意してあることは相手も察知しただろう。顔を上げたら、目が合った。この瞬間なんとなく、研究を外しに来るんだろうと思った。


案の定、激しい変化に踏み込んでこなかった。だが、まだこちらも想定内。なんせ夢の舞台がかかっている。しかも、25切れというスプリント戦で未知の世界には初見では踏み込めないだろう。比較的穏やかになった場合のプランも練ってあり、大体想定していた局面まで進んだ。確か130~150点は出ていたはず。人間的には有って無いような点差だが、あと三手か四手良い感触の手が続けば作戦勝ち以上になる。手が広い将棋だけに、今回の穏やかパターンを事細かに調べることはしなかったが、大まかなプランは出来ていたので残り時間も余裕をもって進められた。

突如、スマッシュが飛んできた。並みの進行ではつまらないと見たのだろうか。実際、ただ凡庸に駒組を進めてくれるなら本当に自信があったが、向こうも「ぶっころモード」発動。

一瞬、前の手で自陣にもう一手だけ手を入れておくべきだったかと後悔したが、本譜の順を凌ぎ切れれば反動だけで相手も倒れると思い直すことにした。それどころか、際どいながら勝てそうだとも思っていた。


攻め対受けの際どい一手争いは、最後に勝負になる手が見えていたにも関わらず、ポカの方を選んでしまい力尽きた。その前、道中の手順にもこちらにチャンスがあった。

なぜポカの方を選んだかというと、勝負になる方の手との2択で迷い、自玉に長手順の王手ラッシュをかけられた際の合い駒に角を2枚使って凌ぐしかないが、それだと詰めろがほどけてしまうと読み、時間切迫の中で消去法で選んだ結果、初手が違うというオチ。そして経験上、こういう時は大抵負けと思った変化が勝ちになっているもので、王手ラッシュの変化で角を1枚手元に置いておく凌ぎ方を大阪までの移動中に見つけてしまった。 無念。


全力を出した。当日の「俺」が出来るパフォーマンスとしては120%だった。今回の敗因は、「事前の鍛練不足」。読む力があれば勝負になる手を消去法で選んでいたはず。だいたい、「当日頑張る」なんてのは全選手やってて当たり前の話なので敗因はそこにしかない。とにかく、三段を倒すには力がまだ足りない。強くなるしかない。これだから将棋辞められねぇんだよな。


最後に。世の中がこれだけ大変な中で対策を万全に準備して大会を運営してくださった皆様、戦えるように鍛えてくれた奨励会の後輩たち、無理を言って1ヶ月も休ませてくれた店長、遠路はるばる応援しに来てくれた最愛の人。そして親父。全ての人に感謝の気持ちを捧げます。

ありがとうございました。

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