目眩のするような毎日だ。
とある日の深夜、雷の音で起こされたが寝ぼけていて意識はうまく覚醒しきれなかった。寝ぼけつつではあったが、近くで雷が鳴っているのであれば何としてでも私はコンセントを抜かなければならない、という使命感に駆られて手探りでそれを探し引っこ抜いた。そして寝た。
朝起きてから自分のした行動に驚き、思わず口角が上がった。危機回避能力のなんと高いことか。
この話を友人にすると、きっとあなたは何か起きた時でも最後まで生き抜くことのできる人なんだね、と言われた。照れた。いやはや、こんなところで生存意欲の高さを認められるとは…。
普段何にもしていない人だから、くだらないことで嬉しくなる。ちょっとしたことで褒められたり、自分について何か言ってもらえたりするとくすぐったくなる。
虚無の中を歩いている心地で生きているから、とても寂しい。何かをしなくっちゃな、と思っていても何だか力が抜けてしまって何もできない。昔はこんなに無気力じゃなかった、寧ろもっと活発で努力だって簡単にできていて…。燃え尽き症候群ってやつだろうか、もう全部なんだって良いような気がしてしまっている。
さて、話を変えよう。
最近、舞台刀剣乱舞の一挙無料配信という素敵な企画が行われていた。私は刀ステを観たことがなく、機会があれば観てみたいなあと思っていたので有り難く利用させてもらった。用事があって観れない日以外は必ず毎日観た。貧乏な仕草かもしれないが、そう指摘されようと私は甘んじて受け入れよう。私がこうして観ることができたのも、これまで刀ステを支えてきてくれた審神者の皆様のおかげである。有難い。
この機会を利用して、私は「虚伝(再演)」「義伝」「外伝」「悲伝」「科白劇」「天伝」「无伝」を観ることができた。心ゆくまで楽しむことができた。そもそも末満さんが関わっている時点で私好みの作風になっていることは決定づけられていたのだった。ついに巡りあってしまったというわけである。
この中でも戦慄し、心が揺れ動いてしまったのは矢張り悲伝である。三日月宗近がどのような立場に置かれてしまっているのか、何が起きているのか…。その一端を知ることができる衝撃的な回だった。それまで、三日月宗近の表情になにか含むものがあったことからきっと何か起きる、もしくは起きているのだろうと予想立てることは可能であった。しかし事態はより深刻で、画面越しといえど迫ってくるものがあったことは間違いない。これが2.5のレベルなのかと慄いた。私は普段から数は多くないにしても2.5の舞台は観る方だし、決して軽んじていたわけではないがここまで壮大なものを作り上げることができるのかと、純粋に驚いたのだ。
正直、一度配信を見ただけでは咀嚼しきれないことが山程ある。もう一度見て確認したい。そして、圧巻のストーリーは勿論のこと、刀剣一振り一振りの殺陣や演技も堪らないものがあった。見ていて引き込まれるものがあるのだ。
例えば三日月宗近だが、天下五剣の美しさを人間である役者が醸し出そうとするのは至難の業なのではないかと思う。何処の誰がどう見たってこれは三日月宗近なんだと、三日月宗近の顕現した姿なのだと納得させるような佇まいと芝居をしなければならないだろう。これは相当なプレッシャーのかかることなのではないかと思う。審神者たちにとっては刀剣乱舞のゲーム内で何度も見てきた立ち絵が現実に現れるのだという期待があるし、そもそも三日月宗近という刀は実在し、その美しさはもう既に世間に知れ渡っている。そんな刀の姿を体現しなければならない。これは恐ろしいことだと思う。
以前、東京国立博物館で催された国宝展にて展示されていた三日月宗近を見たことがあるのだが、あまりの美しさに息が止まった。何から何まで洗練されていて、涙が出るかと思った。私には刀の知識など皆無に等しいし、何か芸術的な意味合いでの評価なんてものは出来はしないのだが…。ただ、その存在が胸に訴えかけてくるものというのが確かにあったのだ。万人の認める美しき刀。誰も否と言うことのない、麗しい刀。
こんな刀の顕現した姿を、堂々と観客の前で披露した鈴木拡樹さんは本当にすごいと思う。画面越しでも伝わるあの流麗さは、言葉にできないものがある。所作の一つ一つ、目線のずらし方…どれをとっても目を惹かれてしまう。こんなにも繊細な表現をできるこの人は、本当に素敵な俳優さんだと思う。
続いて、天伝に登場した加州清光。ちょっと前から気になっていて演技が好きだなと思っていた俳優・松田凌さんが演じていると知ってかなり期待して配信を観た。
そもそもビジュアルが完璧であった。私は刀剣乱舞のゲームで清光を近侍にしているので、ビジュアル面での期待もかなりしていたのだがその期待は余裕で越えられてしまった。私の夢見た加州清光が人の身をしてそこにいる。画面越しだから表現が難しいけれど、きっと当時その舞台上にはx軸y軸z軸を全て獲得した加州清光が立っていたのだろう。凄いことだと、ありふれた感想だけれどそう思った。
主の目の届いていないところではかなりクールで、そして視野も広い。冷静な判断ができて、頼り甲斐のある刀。そんな清光が描かれていて、私は非常にご満悦、と言った感じだった。
終盤の戦いの場面で、加州清光が「これがッ!……本気だ」と言った瞬間には、私は思わず興奮して鳥肌が立った。ゲームでの加州清光とは全く別角度のニュアンスがそこにはあって、あまりの格好良さに頬が緩んでしまった。戦場においての彼の信念と熱意、そして冷徹さを全て詰め込んだようなその台詞の言い方に痺れた。刀ステではこんなにも素敵な加州清光が見れるのか、と悶えた。解釈とは良いものですね、夢が広がる……。
まだまだ沢山書きたいのだが、(歌仙兼定とか山姥切国広とか…)今日のところはこの辺で区切ることとする。
刀ステ作品をいつか全て鑑賞し切って、考察までできるようになりたい。きっと楽しいだろう。
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